
1884 年 3月 10日
【プロレス】
元序二段力士の荒竹が松田虎吉の名でアメリカでプロレスデビュー。イギリス人レスラーと対戦し、勝利した。
1898 年 8月 17日
【プロレス】
ハワイ遠征中の大相撲の大錦がアメリカ本土に渡り、プロレスラーのグリークと対戦。TKO勝ちを収めた。
1914 年 5月 14日
【プロレス】
横綱太刀山に、パリで開催される世界プロレス大会の出場依頼が届くも、第一次世界大戦勃発で大会が中止に。
1921 年 3月 5日
【プロレス】
世界ミドル級王者のアメリカ人レスラー、アド・サンテルが来日。講道館柔道に挑戦し、柔道家を圧倒した。
1941 年 11月 27日
【プロレス】
柔道普及のため世界中をまわり、欧米ではプロレスも歴戦した前田光世がブラジルで死去。61歳。
1951 年 10月 23日
【プロレス】
プロ柔道のエース、木村政彦がブラジル国内無敗のエイオ・グレイシーと現地で対戦。TKO勝ちを収めた。
1951 年 10月 28日
【プロレス】
大相撲を廃業した元関脇力道山がボビー・ブランズとデビュー戦。引き分けに終わると、精根尽きて大の字に。
1952 年 2月 3日
【プロレス】
力道山が単身渡米。翌年の3月6日に帰国するまで260試合以上をこなし、負けはシングル3戦とタッグ2戦のみ。
1953 年 7月 18日
【プロレス】
アメリカ遠征もした元プロ柔道の山口と元大相撲小結の清美川が対決。「柔道対相撲」の一戦は山口が勝利。
1953 年 7月 30日
【プロレス】
帰国してプロレス団体作りに奔走していた力道山が「日本プロ・レスリング興行株式会社」を設立した。
1953 年 10月 30日
【プロレス】
力道山が翌年からの興行の準備と試合のためハワイへ。得意の張り手を応用した「空手チョップ」を完成。
1953 年 11月 29日
【プロレス】
力道山がハワイでNWA王者ルー・テーズへの挑戦権を獲得。空手チョップも虚しく、王者にTKO負けを喫した。
1954 年 2月 19日
【プロレス】
日プロの蔵前国技館3日連続興行が空前のヒット。全国に設置された街頭テレビの前は黒山の人だかりに。
1954 年 8月 8日
【プロレス】
太平洋岸タッグ王者チームとの3連戦3日目、力道山、遠藤幸吉組に王者が反則技を連発。怒った観客が暴動。
1954 年 12月 22日
【プロレス】
力道山対木村の昭和版“巌流島決闘”は日本中が大注目。力道山が壮絶なKO勝ちで、初代日本ヘビー級王者に。
1955 年 1月 26日
【プロレス】
山口が力道山の持つ日本ヘビー級王座に挑戦。しかし、力道山がストレート勝ちで防衛に成功した。
1955 年 5月 3日
【プロレス】
大阪・扇町プールで全日本プロが国際試合。山口は中国人のP・Y・チャンと一騎打ち。
1955 年 6月 12日
【プロレス】
東富士がホノルルでジョージ・ボラスの持つハワイ王座に挑戦も敗北。
1955 年 7月 26日
【プロレス】
大相撲からプロレスに転向した元横綱東富士が蔵前大会で外国人エースと対決も、顔面パンチで血まみれに。
1955 年 9月 10日
【プロレス】
全日本女子プロ・レスリング王座決定トーナメントが開催され、猪狩貞子、田代勝見組が初代タッグ王者に。
1955 年 11月 15日
【プロレス】
蔵前国技館でアジアタッグ王座決定リーグ戦優勝戦。K・コング、タイガー・ジョキンダー組が初代王者に。
1955 年 11月 22日
【プロレス】
力道山とキング・コングのアジアヘビー級選手権。力道山がリングアウト勝ちで、初代アジアヘビー級王者に。
1955 年 12月 28日
【プロレス】
力道山主演の伝記映画「怒濤の男」が公開。
1956 年 1月 1日
【プロレス】
全日本プロが大阪府立体育会館で、元日から5日間興行を開催。アメリカからキングストン・ケリーらを招聘。
1956 年 1月 15日
【プロレス】
国際プロで木村政彦とも戦った“ネブラスカの野牛”ゴージャス・マックが帝国ホテルで強盗を働き、逮捕。
1956 年 4月 28日
【プロレス】
鹿児島・鴨池球場で木村政彦がラウル・ロメロを破り、メキシコジュニアヘビー級王座を獲得。
1956 年 5月 4日
【プロレス】
大阪府立体育会館で力道山、遠藤組がシャープ兄弟から世界タッグ選手権を奪取も、19日の再戦で手放す。
1956 年 7月 9日
【プロレス】
東亜プロと国際プロが大阪で全面対抗戦を行い、国際プロが勝利。
1956 年 9月 1日
【プロレス】
力道山が太平洋岸王者、タム・ライスとアメリカ遠征以来の再戦。ライスの試合放棄で王座奪取ならず。
1956 年 10月 23日
【プロレス】
力道山が「日本ウエート選手権」を設置。ジュニアヘビー級は駿河海、ライトヘビー級は芳の里が制す。
1957 年 7月 4日
【プロレス】
ハワイ・ホノルルで豊登がテーズのNWA王座に挑戦するが、岩石落としで敗れる。
1957 年 7月 27日
【プロレス】
東京・国際スタジアムで遠藤、芳の里組が東富士、長沢組を破り、全日本タッグ選手権を獲得。
1957 年 10月 7日
【プロレス】
後楽園球場で力道山が悲願のNWA王者ルー・テーズへの挑戦。引き分けに終わるもテレビ視聴率は驚異の87%。
1958 年 8月 27日
【プロレス】
力道山がルー・テーズとロサンゼルスで再戦し、完勝。この勝利からインター王座のベルトが作成された。
1958 年 10月 2日
【プロレス】
力道山がドン・レオ・ジョナサンを破り、インタータッグ初防衛。
1959 年 1月 8日
【プロレス】
元横綱東富士が病気を理由にプロレスを廃業し、フジテレビの相撲解説者に。レスラー生活はわずか4年。
1959 年 4月 3日
【プロレス】
“赤覆面”M・アトミックが来日。マスクに凶器を入れた頭突きが猛威を振るう。
1959 年 6月 15日
【プロレス】
世界の強豪が集った日プロの「第1回ワールドリーグ戦」決勝は、力道山がジェス・オルテガを破って優勝。
1959 年 8月 7日
【プロレス】
東京・田園コロシアムで力道山がアトミックを破り、インター王座V4。力道山がアトミックのマスクを剥ぐ。
1960 年 1月 15日
【プロレス】
大阪府立体育会館で力道山がインター王座5度目の防衛に成功。
1960 年 1月 26日
【プロレス】
元関脇輝昇がプロレスラー転向を発表。
1960 年 2月 22日
【プロレス】
リキ・スポーツパレスの起工式が行われる。
1960 年 4月 11日
【プロレス】
日プロが、元巨人軍投手の馬場正平とブラジルの砲丸投げジュニア記録保持者の猪木完至の入門を発表。
1960 年 5月 13日
【プロレス】
第2回ワールドリーグ戦決勝は力道山と実力者レオ・ノメリーニの対決。力道山が制し、Wリーグ2連覇を達成。
1960 年 6月 7日
【プロレス】
名古屋・金山体育館で力道山、豊登組がフランク・バロア、ダン・ミラー組を破り、第3代アジアタッグ王者。
1960 年 8月 19日
【プロレス】
日プロの台東区体育館大会で、来日したミゼット・レスラーが初登場。
1960 年 10月 19日
【プロレス】
東京・台東区体育館で吉原が大坪清隆を破り、全日本ライトヘビー級王座獲得。
1960 年 12月 3日
【プロレス】
力道山がアジアヘビーV6を達成。
1961 年 4月 28日
【プロレス】
“密林男”グレート・アントニオがバス4台を鎖で引っ張るデモンストレーション。ファンの度肝を抜いた。
1961 年 5月 25日
【プロレス】
馬場正平と猪木完至がシングル初対決。体格で上回る馬場が終始リードし、猪木からギブアップ勝ちを収めた。
1961 年 5月 26日
【プロレス】
注目の力道山対K・クラウザーのシングル対決が、福井市体育館で行われ、1-1から両者リングアウト。
1961 年 6月 2日
【プロレス】
東京・蔵前国技館で、力道山がG・アントニオを破り、インター王座V10を達成。
1961 年 6月 29日
【プロレス】
力道山がXを破り、ワールドリーグ3連覇。
1961 年 7月 21日
【プロレス】
力道山がXを破り、インター王座11度目の防衛に成功。Xのマスクを剥いだ。正体はビル・ミラー。
1961 年 7月 30日
【プロレス】
東京・渋谷区にリキ・スポーツパレスが完成。プロレス会場の他、ジムやレストランなども。総工費15億円。
1961 年 9月 10日
【プロレス】
力道山は、プロボクシングの興行を行うと発表した。
1961 年 12月 1日
【プロレス】
力道山のボクシング興行が、ボクシングコミッションから制約がつき、暗礁に乗り上げる。
1962 年 2月 2日
【プロレス】
力道山と豊登のアジアタッグ王座防衛2連戦。2日目に黒人コンビが反則攻撃で勝利すると、観客は激怒し暴動。
1962 年 3月 28日
【プロレス】
NWAから独立し、新たに設立されたWWA。初代王者ブラッシーに力道山が挑み、ストレート勝ちで2代目王者に。
1962 年 4月 23日
【プロレス】
東京体育館で力道山がF・ブラッシーを破り、WWA世界王者を防衛。
1962 年 4月 27日
【プロレス】
テレビ中継された神戸王子体育館での試合。ブラッシーの東郷への噛みつき攻撃を見た老人2名がショック死。
1962 年 5月 25日
【プロレス】
第4回ワールドリーグ戦の決勝。力道山がテーズのドロップキックの自爆からピンフォール勝ちし、4連覇。
1962 年 7月 1日
【プロレス】
2月、6月と二度にわたって明け渡したアジアタッグのベルトを、力道山、豊登組がようやく奪回した。
1962 年 7月 3日
【プロレス】
力道山がWWA世界王座防衛戦のため、渡米する。
1962 年 7月 25日
【プロレス】
WWA王者に就いた力道山がブラッシーからのリベンジマッチに不可解な判定で試合放棄となり、王者転落。
1962 年 8月 9日
【プロレス】
力道山が帰国。
1962 年 9月 14日
【プロレス】
アジアタッグ王座防衛戦で、空手チョップ封じのため右肩を狙われた力道山は負傷。続く4試合を欠場した。
1962 年 10月 5日
【プロレス】
日プロの札幌大会で、力道山、吉村組が、マーフィー、マコニー組を破り、アジアタッグ王座防衛に成功。
1962 年 11月 3日
【プロレス】
日プロが二度目の沖縄遠征。猪木完至がアントニオ猪木に改名。
1962 年 11月 9日
【プロレス】
力道山がM・ショーラックを破り、インター王座13度目の防衛成功。
1962 年 11月 10日
【プロレス】
力道山が単身香港遠征。
1962 年 12月 9日
【プロレス】
力道山がこの年、3度目の渡米。
1963 年 1月 7日
【プロレス】
力道山が婚約を発表。相手は田中敬子さん。力道山が敬子さんの写真を見て一目惚れしたのがきっかけ。
1963 年 1月 18日
【プロレス】
リキ・スポーツパレスで渡米を懸け、大木と猪木が戦い、20分時間切れドロー。
1963 年 3月 17日
【プロレス】
1年8カ月のアメリカ武者修行から馬場が帰国。羽田に力道山と共に降り立ち、次期エースを強く印象付けた。
1963 年 5月 6日
【プロレス】
力道山、豊登組がK・コワルスキー、フレッド・アトキンス組を破って空位だったアジアタッグ王座に就く。
1963 年 5月 17日
【プロレス】
力道山対コワルスキーのWリーグ戦決勝前にザ・デストロイヤーが乱入。試合は力道山が勝ち、5連覇を達成。
1963 年 5月 24日
【プロレス】
WWA王者ザ・デストロイヤーと力道山は、王者の必殺技「足4の字固め」によってレフェリーストップの裁定。
1963 年 9月 7日
【プロレス】
ゴリラ鈴木(マンモス鈴木)が破門となる。
1963 年 10月 7日
【プロレス】
馬場が2度目の渡米。
1963 年 11月 22日
【プロレス】
ミスター・珍が引退。タレントに転向。
1963 年 12月 15日
【プロレス】
力道山が急死。キャバレーでの喧嘩沙汰で腹部を刺され、その手術後に腸閉塞になり死去した。39歳だった。
1964 年 2月 5日
【プロレス】
馬場が、ミシガン州デトロイトでNWA王者ルー・テイズに挑戦。1本を奪ったが、王者の前に屈した。
1964 年 2月 17日
【プロレス】
渡米中の馬場がニューヨークでWWWF王者ブルーノ・サンマルチノに挑むも、不可解な裁定などで涙を飲んだ。
1964 年 2月 20日
【プロレス】
力道山が死去したため空位だったアジアタッグ選手権は、豊登、吉村道明組が制し、第9代王者となった。
1964 年 2月 28日
【プロレス】
ロサンゼルスで馬場がフレッド・ブラッシーのWWA王座に挑戦。惜しくもドローに終わるも、存在をアピール。
1964 年 3月 28日
【プロレス】
力道山亡き後の日本プロレスが新体制をスタート。故力道山の百田敬子夫人が代表から退くことも後日発表。
1964 年 4月 3日
【プロレス】
力道山没後初となるワールドリーグ戦が東京・蔵前国技館で開幕。豊登が初制覇を果たした。
1964 年 4月 3日
【プロレス】
外人選手全員が初来日という中でも異彩を放ったザ・マミーだったが、実力を発揮できずに全敗に終わった。
1964 年 7月 11日
【プロレス】
ヒロ・マツダがフロリダ州タンパでNWAジュニアヘビー級王者ダニー・ホッジを破り、日本人初のNWA王者に。
1964 年 12月 4日
【プロレス】
豊登が東京体育館でWWA世界ヘビー級王者ザ・デストロイヤーを破り、2年半ぶりに日本人WWA王者が誕生した。
1964 年 12月 5日
【プロレス】
豊登に敗れてタイトルを失ったデストロイヤーが、WWAルールに乗っ取ってタイトル移動を認めないと抗議。
1965 年 2月 26日
【プロレス】
WWA王者の豊登が王座奪還を目指すデストロイヤーとの防衛戦。ドローに終わり、辛くも初防衛を果たした。
1965 年 3月 10日
【プロレス】
日本プロ・レスリング社長が故力道山の百田敬子夫人から定野道春(豊登)にバトンタッチ。
1965 年 4月 2日
【プロレス】
木村政雄(R木村)がリキ・スポーツパレスで、高崎山を相手にデビュー。
1965 年 4月 8日
【プロレス】
東京五輪出場の斎藤昌典がワールドリーグ開幕戦のリング上で入団挨拶。五輪代表のプロレス入りは史上初。
1965 年 4月 8日
【プロレス】
第7回ワールドリーグ戦が東京体育館で開幕。決勝シードとなった豊登がブラッシーを退け、防衛に成功。
1965 年 5月 10日
【プロレス】
沖識名がピストル不法所持で逮捕される。
1965 年 6月 3日
【プロレス】
8度目の防衛戦に臨んだ豊登、馬場組は、デストロイヤー、ビリー・レッドライオンに敗れて防衛失敗。
1965 年 7月 15日
【プロレス】
豊登、馬場組が静岡・駿府会館でデストロイヤー、ライオン組からタイトル奪還。第13代アジアタッグ王者に。
1965 年 7月 30日
【プロレス】
大木金太郎が日プロから離脱し、母国・韓国で独立すると発表。9月15日には韓国のヘビー級王者として来日。
1965 年 8月 15日
【プロレス】
明治大学レスリング部出身で五輪代表の杉山恒治がバトルロイヤルでデビュー。
1965 年 8月 15日
【プロレス】
ラグビー元日本代表の草津正武が入団発表。10月7日、本間和夫戦に草津清正のリングネームでデビュー。
1965 年 9月 8日
【プロレス】
豊登が日米WWA王者統一戦でグラハムに勝つも認められず、20日に再戦。不可解な判定で、豊登は丸腰で帰国。
1965 年 10月 24日
【プロレス】
来日中のザ・ブッチャーが交通事故で入院。
1965 年 11月 24日
【プロレス】
馬場がインターナショナルヘビー級王座をかけてディック・ザ・ブルーザーと対戦。反則勝ちで見事初戴冠。
1965 年 12月 15日
【プロレス】
東京・池上本門寺で力道山の三回忌法要。
1965 年 12月 21日
【プロレス】
東京・有楽町フードセンターで行われたデモンストレーションで、馬場が1万円札296枚をつかみ取り。
1966 年 1月 17日
【プロレス】
日プロ新体制発表。代表取締役に長谷川潤三(芳の里)、取締役選手会会長に馬場。芳の里は現役を引退。
1966 年 2月 21日
【プロレス】
日プロを離脱した田中忠治、木村政雄らが東プロ合宿に参加。寺西勇、永源遥ら4人が新たに入門。
1966 年 3月 21日
【プロレス】
日プロは猪木略奪を企てた豊登を除名処分にすると発表。豊登は、前年暮れに日プロ社長を既に辞任していた。
1966 年 4月 23日
【プロレス】
合同トレーニングのためハワイを訪れていた猪木が現地で豊登と急接近し、羽田空港で突然の新団体設立会見。
1966 年 5月 13日
【プロレス】
豊登と猪木が不参加の第8回ワールドリーグ戦は、馬場が優勝戦でウイルバー・スナイダーを下し、初優勝。
1966 年 5月 28日
【プロレス】
NWAタッグ王者として来日したヒロ・マツダが、吉村道明と組んでアジアタッグを奪取。
1966 年 6月 18日
【プロレス】
ヒロ・マツダが地元神奈川での防衛戦で得意の原爆固めを決めるなど、6年ぶりの凱旋に会場は大喝采。
1966 年 7月 5日
【プロレス】
ヒロ・マツダは6月27日にアジアタッグ王座を失ったが、東京体育館でNWAタッグ王座を防衛。
1966 年 7月 10日
【プロレス】
“実力世界一”のカール・ゴッチが来日。巡業中は若手を指導。
1966 年 10月 12日
【プロレス】
猪木擁する東京プロレスが蔵前国技館で旗揚げ。23歳の若きエースは30分を超える熱戦をみせ、観客を魅了。
1966 年 10月 24日
【プロレス】
内部対立によって日プロを退社した吉原功が新団体・国際プロレスを設立。ヒロ・マツダら4選手で旗揚げ。
1966 年 11月 5日
【プロレス】
蔵前国技館でアジアタッグ王座とインタータッグ王座のダブルタイトルマッチ。馬場、吉村組が勝利。
1966 年 11月 19日
【プロレス】
大阪球場で、猪木がUSヘビー級王者バレンタインを2-1で破り、ベルトを奪取。年内に6度の防衛を成功。
1966 年 11月 21日
【プロレス】
野外会場の東京・板橋大会で東プロが興行会社ともめて興行中止に。寒空の下待たされた観客は暴動騒ぎ。
1966 年 11月 29日
【プロレス】
猪木と吉原が共同会見。東京プロレスが国際プロレスに全面協力することを発表した。
1966 年 12月 3日
【プロレス】
馬場の返上により空位になっていたアジアタッグ王者に、吉村、キム組が就く。
1967 年 1月 5日
【プロレス】
国際プロレスが東プロ勢も参戦して旗揚げ戦。マツダの60分好勝負、猪木の勝利など、初戦に花を添えた。
1967 年 1月 8日
【プロレス】
猪木が東プロの資金を持ち出していた豊登と、新間営業部長を横領容疑で告訴。新間は翌日逆告訴すると会見。
1967 年 2月 17日
【プロレス】
元柔道日本一の坂口征二が日本プロレス入団。猪木が抜けた後のエース候補として秘密裏に交渉していた。
1967 年 4月 5日
【プロレス】
グレート・イトウ(上田馬之助)がアメリカ遠征から帰国。
1967 年 4月 6日
【プロレス】
東京プロレス崩壊で戦うリングを失っていた猪木が、川島コミッショナー立ち会いの下、日プロ復帰を決定。
1967 年 4月 29日
【プロレス】
韓国・ソウルでキム・イルがWWA世界王者のマーク・ルーインを下し、第20代チャンピオンとなる。
1967 年 5月 17日
【プロレス】
横浜文化体育館での第9回ワールドリーグ戦決勝は、馬場とデストロイヤーが激突。若き巨人が2連覇を達成。
1967 年 5月 26日
【プロレス】
札幌中島スポーツセンターでアジアタッグ選手権。前王者の吉村がパートナーに指名した猪木とタイトル奪取。
1967 年 6月 29日
【プロレス】
遠征中の山本小鉄と星野勘太郎がアメリカ・テネシーで合流し、ヤマハブラザーズを結成。
1967 年 7月 1日
【プロレス】
WWA王者のキム・イルがロサンゼルスの試合で不可解な裁定を受け、ベルトがコミッショナー預かりとなる。
1967 年 7月 27日
【プロレス】
国プロの小林省三が日本人初のマスクマン、覆面太郎としてデビュー。
1967 年 8月 14日
【プロレス】
NWA王者のジン・キニスキーを挑戦者に馬場のインター王座防衛戦。延長戦でも決着つかず、馬場がV14。
1967 年 9月 11日
【プロレス】
国際プロレスとTBSが「TBSプロレス」放送開始を発表。日本人エースにはグレート草津とサンダー杉山。
1967 年 10月 31日
【プロレス】
馬場、猪木組がインタータッグ王者ターザン・タイラー、ビル・ワット組を破る。BIコンビが第9代王者に。
1967 年 11月 18日
【プロレス】
K・ゴッチが日プロの専属コーチに就任。
1968 年 1月 3日
【プロレス】
TBSプロレス第1弾は草津が“鉄人”ルー・テーズに挑むも完敗。局主導のプロレスに早くも暗雲たちこめる。
1968 年 1月 7日
【プロレス】
大阪府立体育会館で馬場がプリンス・イヤウケアの挑戦を退け、力道山の記録に並ぶインターヘビー級V19。
1968 年 1月 18日
【プロレス】
手切れ金を貰いながら日本に戻った東郷に、日プロレフェリーのユセフ・トルコが激怒。東郷に制裁を加えた。
1968 年 1月 24日
【プロレス】
テーズにダニー・ホッジが挑む「日本初の外国人同士の世界戦」。ホッジがテーズを下し、新王者となった。
1968 年 2月 3日
【プロレス】
馬場、猪木組がB・ミラー、C・リソワスキー組を破り、空位のインタータッグ王座に返り咲く。
1968 年 2月 14日
【プロレス】
豊登、杉山組がザ・カンガルーズを破り、TWWA世界タッグ王座に就く。
1968 年 2月 19日
【プロレス】
TBSプロレス浜松大会を外国人選手全員がボイコット。ブッカーのグレート東郷とTBSの金銭トラブルが原因。
1968 年 2月 28日
【プロレス】
東京体育館で馬場がディック・ザ・ブルーザーを破り、新記録となるインターヘビー級王座20度目の防衛。
1968 年 4月 4日
【プロレス】
力道山の次男である百田光雄の日本プロレス入団が発表された。
1968 年 5月 17日
【プロレス】
馬場がワールドリーグ3連覇を達成。
1968 年 6月 25日
【プロレス】
11年ぶりに来日したボボ・ブラジルが馬場のインター王座に挑戦。馬場は敗れ、連続防衛記録は22でストップ。
1968 年 6月 29日
【プロレス】
全日本女子プロレス興業株式会社が発足した。巴ゆき子、京愛子、岡田京子、プリティ・アトムなどが所属。
1968 年 10月 20日
【プロレス】
WWAが興行不振により、NWAに吸収された。
1968 年 11月 4日
【プロレス】
国際プロレスが、世界中の強豪が集う「第1回IWAワールドシリーズ」を開催。ビル・ロビンソンが優勝。
1968 年 12月 1日
【プロレス】
宮城県スポーツセンターで、キム・イルがブルード・バーナードに角材で殴られて耳を14針縫う大ケガ。
1969 年 2月 9日
【プロレス】
国際プロレスのラッシャー木村がグレート草津と組み、欧州タッグ王者に挑戦。見事、王座奪取に成功。
1969 年 2月 11日
【プロレス】
BI砲がウィルバー・スナイダー、ダニー・ホッジ組とのリベンジマッチを制し、インタータッグ奪還。
1969 年 3月 18日
【プロレス】
坂口が1年8カ月のアメリカ遠征から帰国。
1969 年 4月 20日
【プロレス】
豊登、サンダー杉山組が返上していたTWWA世界タッグの王座決定戦を木村、杉山組が制し、タッグ二冠に。
1969 年 5月 13日
【プロレス】
都内ホテルでNETテレビが日本プロレスの中継を発表。日本テレビへの配慮から猪木をエースとした構成に。
1969 年 5月 16日
【プロレス】
猪木がワールドリーグ決勝でクリス・マルコフを卍固めで破り、馬場の連覇を阻止する悲願の初優勝。
1969 年 5月 18日
【プロレス】
IWA世界タッグトーナメントを豊登、ストロング小林組が制し、初代王者に。ベルトを日本に持ち帰った。
1969 年 7月 3日
【プロレス】
東京・蔵前国技館でキム・イル、猪木組がアジアタッグ王座を防衛するも、試合後、キムが同タイトルを返上。
1969 年 7月 7日
【プロレス】
日本プロレスが東南アジア遠征に出発。
1969 年 8月 9日
【プロレス】
猪木、吉村組が、アート・マハリック、C・リソワスキー組を破り、空位だったアジアタッグ王者となる。
1969 年 8月 11日
【プロレス】
クラッシャー・リソワスキー、ディック・ザ・ブルーザーに敗れたBI砲が、2日後に再戦を制して至宝奪還。
1969 年 10月 14日
【プロレス】
国プロのS小林がバディ・コルトを下し、USAヘビー級王座を奪取。
1969 年 10月 30日
【プロレス】
コッミショナー預かりだったアジアタッグ王座に猪木、吉村組が返り咲く。
1969 年 11月 1日
【プロレス】
空位になっていた国際プロレスのヨーロッパタッグ王座を杉山、草津組が奪取。草津はタッグ三冠目となった。
1969 年 12月 2日
【プロレス】
猪木が若きNWA王者ドリー・ファンク・ジュニアに60分3本勝負で挑むも、フルタイムドローでドリーが防衛。
1969 年 12月 3日
【プロレス】
2日連続の挑戦を受けたNWA王者ドリー対馬場戦は、またも60分フルタイムドローとなり、ドリーが防衛成功。
1970 年 1月 9日
【プロレス】
豊登が引退し、国際プロレスを退団。
1970 年 2月 3日
【プロレス】
国プロの広島大会で、草津、杉山組がロシモフ、ネイダー組を破り、IWA世界タッグ王座を奪取。
1970 年 2月 6日
【プロレス】
AWA王者バーン・ガニアが初来日し、小林を相手にAWA世界ヘビー級王座の防衛戦。小林を撃破し、防衛成功。
1970 年 5月 14日
【プロレス】
B・ロビンソンが「IWAワールドシリーズ」2連覇を達成。
1970 年 5月 19日
【プロレス】
国プロの仙台市レジャーセンター大会で、杉山がビル・ロビンソンを破って第2代IWA世界ヘビー級王座に。
1970 年 5月 29日
【プロレス】
馬場が2年ぶりにワールドリーグ優勝。
1970 年 6月 26日
【プロレス】
アメリカ・ロサンゼルスでキム・イルがアジアヘビー級王座10度目の防衛。
1970 年 7月 30日
【プロレス】
冷房のない大阪府立体育会館のリングで馬場とドリーが文字通りの熱戦。勝った馬場は試合後控室で倒れた。
1970 年 8月 4日
【プロレス】
ザ・ファンクスが日本初見参。馬場、猪木組のインタータッグ王座に挑戦するも、王者の前に敗れた。
1970 年 10月 8日
【プロレス】
国プロの大阪府立体育会館大会でラッシャー木村とドクター・デスが金網デスマッチ。木村がデスを下す。
1970 年 11月 5日
【プロレス】
NETテレビの肝入りで開かれた第1回NWAタッグリーグ戦は、猪木、星野勘太郎組が戦前の下馬評を覆して優勝。
1970 年 11月 9日
【プロレス】
第3代日プロ協会コミッショナーの川島正次郎氏(元自民党副総裁)が死去。
1970 年 11月 17日
【プロレス】
力道山ジュニアの百田光雄がデビュー。
1970 年 12月 3日
【プロレス】
インターヘビー級王座を18回連続防衛中だった馬場が、元NWA世界王者のジン・キニスキーに敗れて防衛失敗。
1970 年 12月 13日
【プロレス】
映画撮影のためブラジルに向かった猪木が、現地で毒蛇に噛まれる。適切な処置によって一命を取り留めた。
1971 年 2月 18日
【プロレス】
メキシコ出身の覆面レスラー、ミル・マスカラスが来日。試合ごとに変わるマスクと華麗な空中殺法が人気。
1971 年 3月 4日
【プロレス】
国プロの北九州大会で杉山がビル・ミラーに敗れ、IWAヘビー級10度目の防衛に失敗。ベルトが海外に流失。
1971 年 3月 26日
【プロレス】
インター、アジアの二つのタッグ王座を持つ猪木が、ロスでUNヘビー級王座を獲得。念願のシングル初戴冠。
1971 年 4月 2日
【プロレス】
横浜文化体育館で「第3回IWAワールドシリーズ」。カール・ゴッチとビル・ロビンソンの師弟対決はドロー。
1971 年 5月 15日
【プロレス】
第3回IWAワールドシリーズは日本人勢は決勝に進めず、外国人勢の争いに。モンスター・ロシモフが初優勝。
1971 年 5月 19日
【プロレス】
第13回ワールドリーグは、同点首位となった馬場、猪木、ブッチャー、デストロイヤーが争い、馬場が優勝。
1971 年 6月 19日
【プロレス】
アメリカ・ミネソタ州で、S小林がB・ミラーを破り、IWA世界ヘビー級王座獲得。
1971 年 9月 23日
【プロレス】
国プロの長崎・諫早市営体育館大会で、R木村、杉山組が、IWA世界タッグ王者となる。
1971 年 11月 1日
【プロレス】
第2回NWAタッグリーグ戦は猪木、坂口組がキラー・コワルスキー、バディ・オースチン組を破って優勝した。
1971 年 11月 2日
【プロレス】
東京・新宿の京王プラザホテルで猪木と倍賞美津子の結婚披露宴が行われる。
1971 年 12月 1日
【プロレス】
アジアタッグ王者の猪木、吉村組がディック・マードック、ドリー組と引き分け防衛後、王座返上。
1971 年 12月 7日
【プロレス】
BIコンビがインタータッグ防衛戦でザ・ファンクスに敗れ、14回連続で防衛してきた王座からついに陥落。
1971 年 12月 9日
【プロレス】
体調不良の猪木に代わり、坂口がドリーのNWA世界王座に挑戦。敗れはしたものの、大善戦といえる戦いぶり。
1971 年 12月 9日
【プロレス】
猪木のUN王座剥奪が、日プロより発表される。
1971 年 12月 12日
【プロレス】
坂口、吉村組がアジアタッグ新王者に輝く。
1971 年 12月 13日
【プロレス】
日本プロレスが会見を開き、クーデターを画策していたとして猪木の除名を発表。翌日には猪木も会見。
1972 年 2月 11日
【プロレス】
坂口がNWA認定ユナイテッド・ナショナル王座決定戦に挑み、キラー・クローを下して第8代UN王者になった。
1972 年 3月 6日
【プロレス】
日プロを追放された猪木が設立した新団体「新日本プロレス」の旗揚げ戦。大田区体育館に超満員の観客。
1972 年 5月 2日
【プロレス】
馬場が第14回ワールドリーグ戦で優勝を飾る。
1972 年 5月 6日
【プロレス】
国プロの第4回IWAワールドシリーズ決勝は小林がモンスター・ロシモフを破り、リーグ戦初優勝を果たした。
1972 年 5月 19日
【プロレス】
ロサンゼルスでジャイアント馬場、坂口征二組がザ・ファンクスからインタータッグ王座奪回に成功。
1972 年 7月 7日
【プロレス】
空位の国プロIWA世界タッグ王座はバロン・シクルナ、B・ミラー組を破った草津、S小林組が獲得。
1972 年 7月 29日
【プロレス】
馬場が日プロからの独立を表明。猪木退団の余波で日プロが日テレの中継を打ち切られたことなどから。
1972 年 9月 6日
【プロレス】
日プロの東京・田園コロシアム大会でザ・シークが坂口を破りUN王座を奪取も、翌日の大阪大会で坂口が奪回。
1972 年 9月 18日
【プロレス】
国プロの杉山が円満退社。全日プロへの移籍が発表された。
1972 年 10月 4日
【プロレス】
新日本の蔵前国技館大会で猪木が旗揚げ戦以来となるカール・ゴッチ戦に挑み、見事前回の雪辱を果たした。
1972 年 10月 10日
【プロレス】
新日本の大阪大会でゴッチが猪木から「実力世界一」のベルトを奪回。
1972 年 10月 21日
【プロレス】
日プロから独立した馬場が新団体「全日本プロレス」を旗揚げ。旗揚げ前夜祭を町田市体育館で行った。
1972 年 10月 22日
【プロレス】
独立した馬場に力道山の遺族から旧インターヘビーのベルトが寄贈され、これをかけて旗揚げ戦が行われた。
1972 年 10月 31日
【プロレス】
全日本はミュンヘン五輪代表の鶴田友美の入団を発表。会見で鶴田は「全日本に“就職”します」と発言した。
1972 年 11月 27日
【プロレス】
国プロが金網デスマッチ初のタッグ戦。ブルーザー、リソワスキー組が勝つも、ルールを誤解した観客が暴動。
1972 年 12月 4日
【プロレス】
日プロ広島大会で、ブラジルを破った大木が空位のインターヘビー級王座奪取。
1973 年 1月 30日
【プロレス】
日プロの吉村道明が引退を表明。3月3日には引退試合を行った。
1973 年 2月 20日
【プロレス】
新日本の横浜大会で豊登が引退。
1973 年 2月 27日
【プロレス】
全日本旗揚げ以降「世界選手権争奪戦」を戦ってきた馬場が最終戦でブラジルを破り、PWFヘビー級王者に。
1973 年 3月 8日
【プロレス】
高千穂明久がJ・バレンタインを破り、UN王者となる。この試合が沖識名のレフェリー生活最後の試合に。
1973 年 4月 1日
【プロレス】
移籍した坂口が新日本のマットに初登場。坂口の加入によりNETテレビの中継も決定し、救世主となった。
1973 年 4月 21日
【プロレス】
全日本の「チャンピオン・カーニバル」決勝は、馬場がマーク・ルーインに勝利し、第1回大会を制した。
1973 年 4月 27日
【プロレス】
馬場、大木、百田夫人が会見し、日プロの全日本への吸収合併を発表。馬場、猪木が抜け苦戦続きだった。
1973 年 7月 9日
【プロレス】
国プロの大阪大会でIWA世界王者のS小林対R木村の日本人同士の世界選手権大会が実現。小林が防衛に成功。
1973 年 9月 26日
【プロレス】
全日本はオランダ出身の東京五輪柔道金メダリスト、アントン・ヘーシンクの入団を発表。
1973 年 10月 9日
【プロレス】
約6か月の全米修行から帰国した鶴田が、蔵前国技館大会で早くも馬場と組んでザ・ファンクスと対戦。
1973 年 10月 9日
【プロレス】
全日本の蔵前大会でデストロイヤーとマスカラスの覆面世界一決戦が実現。
1973 年 10月 10日
【プロレス】
国プロの第5回ワールドリーグ戦決勝戦は、ラッシャー木村がブラック・ジャック・マリガンを破って初優勝。
1973 年 10月 14日
【プロレス】
猪木、坂口の“黄金コンビ”とテーズ、ゴッチの史上最強コンビが対戦。黄金コンビが鉄人と神様を下す。
1973 年 11月 5日
【プロレス】
猪木が外国人3人組に暴行を受ける。来日中のレスラー3人が犯人だったが、新日本側は被害届を提出せず。
1973 年 12月 6日
【プロレス】
新日本は、専修大学レスリング部主将でミュンヘン五輪日本代表の吉田光雄の入団を発表。
1973 年 12月 10日
【プロレス】
ベルト獲得が至上命題の新日本。NWF王者ジョニー・パワーズにエースの猪木が挑み、勝利。悲願の王座奪取。
1973 年 12月 17日
【プロレス】
グレート東郷が胃ガンのため死去。62歳。
1974 年 1月 21日
【プロレス】
全日本の「NWAチャンピオンシリーズ」は、NWA元王者から現王者までがそろい踏みのドリームカードを連発。
1974 年 1月 28日
【プロレス】
星野の新日本入団が発表された。
1974 年 3月 19日
【プロレス】
突然のフリー宣言をした小林が猪木と対戦。日本人トップ同士の対決は、猪木が原爆固めで小林を下した。
1974 年 4月 26日
【プロレス】
第1回ワールドリーグ戦決勝で、猪木対坂口の新日本頂上対決が実現。両雄相譲らず、タイムアップドロー。
1974 年 5月 8日
【プロレス】
猪木がキラー・カール・クラップを破り、第1回ワールドリーグ優勝。
1974 年 5月 11日
【プロレス】
馬場がミスター・レスリングを破り、チャンピオン・カーニバル2連覇。
1974 年 6月 26日
【プロレス】
20日の試合でタイガー・ジェット・シンから火傷を負わされた猪木が、再戦でシンの右腕をへし折る。
1974 年 7月 25日
【プロレス】
ザ・デストロイヤーが「覆面十番勝負」をスタート。第一弾としてミル・マスカラスと対決し、勝利を収める。
1974 年 8月 1日
【プロレス】
猪木とゴッチが「実力世界一決定戦に番勝負」。1日の第1戦は猪木が、8日の第2戦はゴッチが制し、引き分け。
1974 年 8月 16日
【プロレス】
新日本の第1回カール・ゴッチ杯は、決勝で小沢を破った藤波が優勝。
1974 年 10月 7日
【プロレス】
小林のフリー宣言後空位になり、一度は海外に流出したIWA王座をマイティ井上が奪取。第9代王者となった。
1974 年 10月 10日
【プロレス】
大木の再三の対戦要求が身を結び、猪木との一騎打ちが実現。猪木に敗れるも、試合後は両者男泣き。
1974 年 12月 2日
【プロレス】
馬場が鹿児島でNWA王者ブリスコを破り、日本人で初めてプロレス界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得。
1974 年 12月 9日
【プロレス】
馬場がブリスコに敗れて、NWA王座を奪回される。
1974 年 12月 12日
【プロレス】
猪木対S小林の再戦は、猪木が卍固めでNWF王座防衛に成功。
1975 年 2月 5日
【プロレス】
インタータッグ王座奪回を目指す馬場が鶴田と組み、テキサスでザ・ファンクスを撃破。見事、王座奪還。
1975 年 2月 6日
【プロレス】
2人で600キロのビリーとベニーのマクガイヤー兄弟が、新日本に来日。猪木が1-2の変則マッチ勝利。
1975 年 3月 13日
【プロレス】
猪木とタイガー・ジェット・シンがNWF王座をかけて“腕折り”以来の再戦。猪木が敗れてシンが新王者に。
1975 年 3月 19日
【プロレス】
マッハ文朱がジャンボ宮本を破り、WWWA世界王座を奪取。
1975 年 4月 19日
【プロレス】
ラッシャー木村がIWA世界ヘビー級王者のマッドドッグ・バジョンを金網デスマッチで破り、第11代王者に。
1975 年 4月 25日
【プロレス】
新日本の第2回ワールドリーグ戦でかつて対立した坂口と大木の遺恨が再燃。勝負度外視の殴り合いの試合に。
1975 年 5月 3日
【プロレス】
馬場がジン・キニスキーを破り、チャンピオン・カーニバル3連覇。
1975 年 5月 30日
【プロレス】
新日本マットにフリー参戦していたストロング小林が、新日本への正式入団を発表。
1975 年 6月 11日
【プロレス】
ボクシング世界ヘビー級王者モハメッド・アリのリップサービスに猪木が本気の反応。会見で挑戦を表明。
1975 年 6月 26日
【プロレス】
新日本の蔵前大会でシンを破った猪木がNWF王座を奪回。
1975 年 10月 9日
【プロレス】
59歳のテーズと32歳の猪木が蔵前国技館でNWFベルトを懸けて対決。猪木がバックドロップで勝ち、防衛成功。
1975 年 10月 30日
【プロレス】
執拗に対戦を要求する大木に馬場が折れ、蔵前国技館でついに対決。勝った馬場が全日本の威信を守った。
1975 年 11月 3日
【プロレス】
国プロの後楽園ホール大会で全日本の中堅4選手がリングに上がり、団体対抗戦が実現。
1975 年 12月 11日
【プロレス】
蔵前国技館での猪木対ビル・ロビンソン戦は時間切れに終わったものの、ストロングスタイルの真髄を見せた。
1975 年 12月 11日
【プロレス】
全日本は猪木対ロビンソンと同日に「力道山13回忌追善試合」を開催。馬場対鶴田がタッグ戦ながらも実現。
1975 年 12月 18日
【プロレス】
馬場がホースト・ホフマンを破り、オープン選手権優勝。
1976 年 2月 5日
【プロレス】
空位だった北米タッグ王座決定戦で坂口、S小林組がシン、B・ムルンバ組を破り、新王者となる。
1976 年 2月 6日
【プロレス】
猪木が初の異種格闘技戦としてオランダの柔道王ウイリエム・ルスカと対戦。バックドロップ3連発で勝利。
1976 年 3月 10日
【プロレス】
マシオ駒が腎臓障害のため死去。35歳。
1976 年 3月 28日
【プロレス】
全日本と国プロの全面対抗戦が蔵前国技館で行われた。4勝4敗1分1無効試合と全くの五分の結果となった。
1976 年 5月 8日
【プロレス】
リーグ戦方式になった全日本の第4回チャンピオン・カーニバルは、決勝で馬場を下したブッチャーが初優勝。
1976 年 5月 11日
【プロレス】
アリ戦を控えて猪木が辞退した新日本の第3回ワールドリーグ戦は、モラレスを破った坂口が初の栄冠に輝く。
1976 年 6月 26日
【プロレス】
猪木に圧倒的不利なルールで行われたアリ戦は、寝た状態からのローキックに終始。「世紀の凡戦」と揶揄。
1976 年 7月 29日
【プロレス】
新日本・大阪大会で坂口を破ったシンが、新設された初代アジアヘビー級王者に就いた。
1976 年 8月 5日
【プロレス】
フリーで全米を転戦していた上田馬之助が大ヒールとして帰国。新日本・蔵前大会のリングで猪木に挑戦状。
1976 年 8月 28日
【プロレス】
日プロ崩壊で封印されていたUN王座が復活。鶴田がジャック・ブリスコを破って、念願のシングル王者に。
1976 年 10月 7日
【プロレス】
猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントと格闘技世界一決定戦で、TKO勝ち。
1976 年 10月 28日
【プロレス】
全日本の蔵前大会で大木、キム組が馬場、鶴田組を破り、インタータッグ王座を奪取。
1976 年 12月 2日
【プロレス】
相撲部屋の内紛で角界を廃業し、全日本に入団した天龍源一郎の断髪式が日大講堂のリング上で行われた。
1976 年 12月 9日
【プロレス】
猪木がルスカと格闘技世界一決定戦の再戦を行い、レフェリーストップで勝利。
1976 年 12月 12日
【プロレス】
猪木が“パキスタンの英雄”アクラム・ペールワンと現地で対決。猪木が相手の左腕を折りドクターストップ。
1977 年 1月 7日
【プロレス】
B・サンマルチノの首を折ったスタン・ハンセンが、新日マット初登場。
1977 年 1月 14日
【プロレス】
上田馬之助が新日本参戦。シンと組んで坂口、小林組の北米タッグ王座に挑戦も、反則を繰り返し無効試合に。
1977 年 3月 5日
【プロレス】
鶴田が秋田大会でロビンソンに敗れ、UN王座から転落。11日に再戦も引き分け。23日にフロリダで奪回成功。
1977 年 3月 26日
【プロレス】
4年ぶりの「IWAワールドシリーズ」が蔵前国技館で行われ、バッドドッグ・バションを破ったR木村が優勝。
1977 年 5月 14日
【プロレス】
馬場がチャンピオン・カーニバル2年ぶり優勝。
1977 年 6月 2日
【プロレス】
猪木がアリと再戦決定を発表。アリ側はザ・モンスターマンと前哨戦を要求。
1977 年 6月 11日
【プロレス】
天龍が東京・世田谷大会で馬場とタッグを組み、マリオ・ミラノ、メヒコ・グランテ組戦で国内デビュー。
1977 年 6月 16日
【プロレス】
全日本のグレート小鹿と大熊元司が高千穂、サムソン・クツワダ組を破り、アジアタッグ王座奪取に成功。
1977 年 7月 29日
【プロレス】
元大相撲のトンガ力士、福ノ島が全日入団。
1977 年 8月 2日
【プロレス】
猪木がプロ空手世界ヘビー級王者のザ・モンスターマンが異種格闘技戦。苦しみながらも猪木がギロチン葬。
1977 年 10月 5日
【プロレス】
キム・イルが自身のアジアヘビーベルトを懸けて馬場のPWF王座に挑戦。両者リングアウトに終わる。
1977 年 10月 25日
【プロレス】
キム・イルと馬場が再戦。流血戦の末、馬場が勝利して、アジアヘビー王座を奪取した。
1977 年 10月 31日
【プロレス】
元幕内大ノ海のプロレス入りが発表される。
1977 年 11月 1日
【プロレス】
ビューティ・ペアの佐藤と上田がWWWA王座と賞金1000万円を懸けて対決。60分ドローも、判定で佐藤が勝利。
1977 年 11月 14日
【プロレス】
新日本が設立した「世界格闘技協会」による「格闘技大戦争」が日本武道館で開催された。
1977 年 11月 25日
【プロレス】
前回の成功を受け、全日本と国プロの全軍対抗戦が開幕。アジアタッグ王者のM井上、アニマル浜口組が活躍。
1977 年 11月 29日
【プロレス】
ラグビー元日本代表、原進が国プロ入団。
1977 年 12月 8日
【プロレス】
“密林男”グレート・アントニオが再来日し、猪木と対戦。猪木が背後からの顔面蹴りなどで3分8秒のKO勝ち。
1977 年 12月 15日
【プロレス】
「世界オープンタッグ選手権」決勝は、ザ・ファンクスがブッチャー、シーク組の反則攻撃を耐え抜き、優勝。
1978 年 1月 23日
【プロレス】
ニューヨークで藤波辰巳がカルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWFジュニア王座を奪取した。
1978 年 2月 8日
【プロレス】
新日本・武道館大会メーンの猪木対上田戦は四方に釘板が打ち込まれたリングで行われ、猪木がKO勝ちした。
1978 年 2月 18日
【プロレス】
蔵前国技館で全日本、国プロ、韓国による3軍対抗戦。馬場とR木村による両団体トップ同士の対決も実現。
1978 年 3月 30日
【プロレス】
藤波対エル・カネックのWWFジュニアヘビー級選手権を前に、カネックが失踪。失踪の理由も明らかにならず。
1978 年 4月 30日
【プロレス】
第1回「MSGシリーズ」の優勝戦は、猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントを下し、第1回大会を制した。
1978 年 5月 11日
【プロレス】
国プロの剛がフリー宣言。藤波への挑戦を表明。
1978 年 5月 25日
【プロレス】
力道山の長男で全日本のリングアナだった百田義浩が、32歳にしてプロレスラー転向を表明。
1978 年 6月 1日
【プロレス】
全日本の看板タイトル・PWF王座を守り続けてきた馬場が、流血王カマタに不覚。防衛記録は38回で止まった。
1978 年 6月 1日
【プロレス】
日本武道館で猪木対ボブ・バックランドのNWF&WWFのダブルタイトルマッチ。時間切れでタイトル移動はなし。
1978 年 6月 26日
【プロレス】
国プロの原進が寺西勇戦でデビュー。
1978 年 8月 18日
【プロレス】
全日本にミル・マスカラスとともに弟のドス・カラスが初来日。
1978 年 8月 25日
【プロレス】
新日本の前田明が山本小鉄戦でデビュー。
1978 年 11月 3日
【プロレス】
国プロの「日本リーグ争奪戦」開幕。鶴田、キム・ドクらが参戦。優勝はR木村。
1978 年 11月 7日
【プロレス】
ローラン・ボックの招きでヨーロッパ遠征に出た猪木は、23日間で20試合、6カ国を回る過密日程を消化。
1978 年 11月 7日
【プロレス】
カマタからPWF王座を奪取したブッチャーに馬場が挑戦するが、引き分けで馬場の王座奪回は失敗。
1978 年 11月 17日
【プロレス】
長年、アメリカで活躍してきたヒロ・マツダが“狼軍団”を結成。新日本の「プレ日本選手権」に殴り込み。
1978 年 12月 15日
【プロレス】
全日本が「世界最強タッグ決定リーグ戦」を開催。馬場、鶴田組がザ・ファンクスと並ぶも、総得点で初優勝。
1979 年 1月 5日
【プロレス】
鶴田がF・V・エリックを破って、「試練の10番勝負」を4勝2敗4引き分けで終える。
1979 年 1月 21日
【プロレス】
国プロの後楽園大会に新日本の山本、星野の“ヤマハブラザーズ”が参戦。IWA世界タッグ王座を奪取。
1979 年 1月 25日
【プロレス】
猪木がウガンダ共和国のアミン大統領と戦う計画があると発表。しかし、政権崩壊のため試合は実現せず。
1979 年 2月 27日
【プロレス】
全日本女子の武道館大会でビューティ・ペア対決。ジャッキー佐藤が勝ち、負けたマキ上田はその場で引退。
1979 年 6月 14日
【プロレス】
ザ・デストロイヤーが、後楽園ホール大会を最後に全日マット生活を終えた。
1979 年 6月 15日
【プロレス】
ロサンゼルスでヒロ・マツダ、マサ斎藤組を破った坂口、長州力組が北米タッグ王座を奪取。長州は初ベルト。
1979 年 7月 13日
【プロレス】
キム・ドクが全日入団。のちにタイガー戸口に改名する。
1979 年 7月 21日
【プロレス】
R木村がアレックス・スミルノフに敗れ、IWA世界ヘビー級王座から転落。デビュー1年目の阿修羅原の健闘も。
1979 年 7月 25日
【プロレス】
R木村がA・スミルノフを破り、IWA王座奪回。
1979 年 8月 26日
【プロレス】
東スポ主催の「夢のオールスター戦」で馬場と猪木が8年ぶりにタッグ。ブッチャー、シン組を破った。
1979 年 10月 2日
【プロレス】
新日本にフリー参戦している剛竜馬が藤波のWWFジュニアヘビー級王座に挑戦。見事破り、第4代王者に。
1979 年 10月 31日
【プロレス】
馬場がNWA世界ヘビー級王者のハーリー・レイスを下し、自身2度目となる第55代NWA世界ヘビー級王者に。
1979 年 11月 7日
【プロレス】
馬場がレイスに敗れ、NWA王座転落。
1979 年 11月 30日
【プロレス】
猪木がボブ・バックランドを下してWWF王者に。前年、3度も挑戦して届かなかった悲願のタイトルだった。
1979 年 12月 6日
【プロレス】
猪木がバックランドと再戦も、シン、M斎藤の乱入で無効試合に。猪木は試合内容を不服としてタイトル返上。
1979 年 12月 13日
【プロレス】
79世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦は因縁のザ・ファンクス対ブッチャー、シーク組。ファンクスが優勝。
1980 年 2月 1日
【プロレス】
藤波がWWF、NWAインターのジュニア二冠に輝く。
1980 年 2月 8日
【プロレス】
ハンセンが猪木からリングアウト勝ちを収め、NWFヘビー級王座奪取(4月3日に奪回)。
1980 年 2月 18日
【プロレス】
大木が国際プロレス入団を発表。
1980 年 2月 23日
【プロレス】
鶴田がD・マードックに敗れ、UN王座転落(3月5日に奪回)。
1980 年 2月 27日
【プロレス】
猪木が異種格闘技戦で極真空手の“熊殺し”ウイリー・ウイリアムスと対戦。乱闘騒ぎになり、決着つかず。
1980 年 4月 4日
【プロレス】
山本小鉄が引退試合で最後のヤマハブラザーズ。
1980 年 5月 13日
【プロレス】
ハルク・ホーガンが新日本マットで日本初登場。小林を破る大金星で颯爽と日本デビューを果たした。
1980 年 9月 4日
【プロレス】
馬場がハーリー・レイスを破り、第57代NWA王者に。しかし、6日後のリターンマッチで敗れ、王座から転落。
1980 年 9月 25日
【プロレス】
藤波が木村健吾のNWAインタージュニアのベルトに挑戦、両者KOドロー。
1980 年 10月 23日
【プロレス】
アマレス5年連続王者でモスクワ五輪代表の谷津嘉章が新日本入団。
1980 年 11月 28日
【プロレス】
初来日した“南海の黒豹”リッキー・スティムボートがデビュー戦。前評判通りの芸術的テクニックを披露。
1980 年 12月 10日
【プロレス】
新日本「MSGタッグリーグ戦」。ボブ・バックランドと組んだ猪木は優勝戦でホーガン、ハンセン組を破った。
1980 年 12月 11日
【プロレス】
「'80全日本世界最強タッグ決定リーグ戦」優勝戦は、ザ・ファンクスに勝った馬場、鶴田組が2年ぶりの優勝。
1980 年 12月 13日
【プロレス】
「世界に乱立するタイトルの統一」を掲げ、猪木がIWGP構想を発表。世界各地で予選を行い、世界一を決める。
1981 年 1月 18日
【プロレス】
後楽園ホールで「ジャイアント馬場3000試合連続出場記念試合」。馬場がバーン・ガニアと3本勝負もドロー。
1981 年 4月 23日
【プロレス】
新日本の蔵前大会でタイガーマスクが鮮烈デビュー。流れるような四次元殺法でデビュー戦を飾った。
1981 年 4月 23日
【プロレス】
蔵前国技館大会メーンでNWFヘビー級王座決定戦。猪木がハンセンを下すも、IWGP挑戦のためすぐに王座返上。
1981 年 4月 30日
【プロレス】
復活したインターヘビー級王座に就いたドリー・ファンク・ジュニアが、弟のテリーを下して防衛成功。
1981 年 5月 2日
【プロレス】
アメリカ・ボストンでK・カーンがアンドレの左足を骨折させる。
1981 年 5月 8日
【プロレス】
新日本のリングに全日本のブッチャーが上がり、両団体による引き抜き戦争が勃発。以後、激化の一途を辿る。
1981 年 5月 9日
【プロレス】
新日本の高田延彦が安永昇男戦でデビュー。
1981 年 5月 10日
【プロレス】
ハンセンとホーガンが新日本のMSGシリーズ公式戦でシングル対決。結果はハンセンのリングアウト勝ち。
1981 年 6月 24日
【プロレス】
新日本の谷津嘉章が猪木とのタッグマッチでデビュー。ハンセン、ブッチャー組に完膚なきまでの敗北。
1981 年 8月 9日
【プロレス】
北海道・羅臼町民グラウンドで国際プロレスが最後の興行。惜しまれつつ、14年の歴史に幕を下ろした。
1981 年 8月 21日
【プロレス】
全日本の三沢光晴が越中詩郎戦でデビュー。
1981 年 9月 23日
【プロレス】
田園コロシアムで、ラッシャー木村が新日本のマットに殴り込み。場違いの律儀な挨拶にファンは失笑。
1981 年 10月 9日
【プロレス】
蔵前国技館で全日本創立10周年記念興行。全米トップレスラーによる豪華カードを連発、史上空前の祭典に。
1981 年 10月 16日
【プロレス】
藤波がWWFジュニアヘビー級王座28度目の防衛に成功するが、ヘビー級転向のため、同王座を返上。
1982 年 1月 1日
【プロレス】
新日本初の元日興行で猪木とローランド・ボックが激突。対戦経験のある両者だったが、試合は凡戦に終始。
1982 年 1月 15日
【プロレス】
ハンセンが全日本移籍第1戦で阿修羅原に勝利。
1982 年 1月 28日
【プロレス】
猪木とブッチャーが新日本でシングル初対決。セコンド乱入で猪木反則勝ち。
1982 年 2月 4日
【プロレス】
馬場とハンセンのPWF選手権は両者反則で馬場が防衛に成功。
1982 年 4月 1日
【プロレス】
新日本「MSGシリーズ」決勝戦は猪木負傷欠場の中、アンドレとキラー・カーンが激突。アンドレが初優勝。
1982 年 5月 6日
【プロレス】
タイガーマスクが負傷で返上したWWFジュニアヘビー級王座に、グラン浜田を破ったB・タイガーが戴冠。
1982 年 5月 25日
【プロレス】
タイガーマスクがNWA世界ジュニアヘビー級王座に。翌26日にはブラックタイガーからWWFのベルトも奪取。
1982 年 7月 2日
【プロレス】
全日本の東京・福生大会でマスクマンのウルトラセブンが登場。大仁田に挑戦するも見せ場なく敗れる。
1982 年 7月 6日
【プロレス】
アンドレとホーガンの対決は両者リングアウト。
1982 年 7月 30日
【プロレス】
大仁田厚が3月に破ったチャボとNWAインタージュニア王座防衛をかけて再戦。引き分けるも遺恨を深めた。
1982 年 8月 30日
【プロレス】
藤波がニューヨークMSGでWWFインターヘビー級王座を奪取。
1982 年 9月 21日
【プロレス】
新日本大阪大会で、猪木にフォール負けしたラッシャー木村が試合後に猪木の髪を切るという暴挙。
1982 年 10月 8日
【プロレス】
6人タッグ戦で同チームの長州力と藤波が殴り合い。長州が「オレはお前の噛ませ犬じゃない」と下剋上宣言。
1982 年 10月 26日
【プロレス】
小林邦明がタイガーマスクと対決。マスクを剥いで反則負けも、以後“虎ハンター”としてライバルに定着。
1982 年 10月 26日
【プロレス】
馬場がレイスに敗れ、PWFヘビーのベルトが海外流出。
1983 年 1月 25日
【プロレス】
前田明がヨーロッパヘビー級王座を奪取。
1983 年 2月 11日
【プロレス】
海外武者修行中だった高千穂明久が、全日本後楽園ホール大会で「ザ・グレート・カブキ」として凱旋帰国。
1983 年 2月 11日
【プロレス】
馬場がレイスからPWFヘビー級王座奪回。
1983 年 3月 3日
【プロレス】
全日本・後楽園ホール、馬場のアームブリーカーで上田が右腕を脱臼。
1983 年 4月 3日
【プロレス】
新日本蔵前国技館大会で長州力がWWFインターヘビー級王者藤波を破り、ライバルの藤波越えの悲願達成。
1983 年 4月 13日
【プロレス】
新日本の前田明が約1年の海外遠征から帰国。IWGPシリーズには欧州代表として参戦し、21日の復帰戦も勝利。
1983 年 4月 22日
【プロレス】
全日本テー・ルーズ杯で越中が優勝。
1983 年 5月 27日
【プロレス】
IWGP公式戦で猪木対前田のシングル対決が実現。猪木が延髄斬りで勝利。
1983 年 6月 2日
【プロレス】
猪木が提唱し続け、遂に実現した「IWGPシリーズ」。決勝では猪木がホーガンにまさかの失神KOを喫した。
1983 年 8月 11日
【プロレス】
一大ブームを巻き起こしているタイガーマスクが新日本を離脱。猪木の会社資金流用疑惑が原因とされる。
1983 年 8月 25日
【プロレス】
新日本が猪木の会社資金流用を受けて首脳陣を一新。猪木が社長を、坂口が副社長を辞任した。
1983 年 8月 28日
【プロレス】
社長退陣直後の猪木が田園コロシアムで87日ぶりに復帰。ラッシャー木村を卍固めで一蹴した。
1983 年 8月 31日
【プロレス】
テリー・ファンクが引退試合。兄ドリーとの兄弟タッグでハンセン、ゴーディ組に勝利し、花道を飾った。
1983 年 8月 31日
【プロレス】
全日本の蔵前大会でジャンボ鶴田がインターヘビー級王者のブルーザー・ブロディに勝ち、新王者に。
1983 年 9月 8日
【プロレス】
全日本・千葉大会で、馬場がハンセンに敗れ、PWFヘビー級王座から転落。
1983 年 10月 5日
【プロレス】
長州、M斎藤、カーンによって結成された革命軍は、浜口、谷津らも合流。正式に維新軍団として発足した。
1983 年 11月 3日
【プロレス】
長身の覆面レスラー、ザ・コブラが新日本・蔵前大会で鮮烈デビュー。NWA世界ジュニアヘビー級王者に。
1983 年 11月 3日
【プロレス】
新日本・正規軍対維新軍の4vs4の対抗戦は2勝1敗1分で維新軍に凱歌。
1983 年 12月 15日
【プロレス】
日プロの元レフェリー、沖識名がハワイで死去。
1984 年 1月 26日
【プロレス】
全日本女子、ミミ萩原が引退表明。
1984 年 2月 3日
【プロレス】
新日本・札幌大会のWWFインター選手権、長州力対藤波辰巳の試合前、藤原が長州を襲撃。無効試合に。
1984 年 2月 10日
【プロレス】
“鉄の爪”フリッツ・フォン・エリックの三男、デビッド・フォン・エリックが25歳の若さで死去。
1984 年 2月 23日
【プロレス】
ジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルとダブルタイトルマッチ。日本人初のAWA王者に輝く。
1984 年 4月 11日
【プロレス】
新団体UWFが大宮スケートセンターで旗揚げ興行。ポスターに掲載されていた猪木や外国人レスラーは現れず。
1984 年 4月 25日
【プロレス】
馬場の連続試合出場が負傷のため、3711でストップ。
1984 年 6月 14日
【プロレス】
蔵前国技館で第2回IWGP優勝戦。前年と同じ対決は猪木がホーガンを下すも、長州の乱入で後味悪い試合に。
1984 年 7月 23日
【プロレス】
UWF無限大記念大会にタイガーマスクがザ・タイガーとして復帰。既存のものとは違う格闘プロレスを展開。
1984 年 8月 24日
【プロレス】
新日本の後楽園大会にストロング・マシンなるマスクマンが来襲。9月には猪木とシングル対決も行った。
1984 年 8月 25日
【プロレス】
全日本女子、クラッシュギャルズがジャンボ堀、大森ゆかり組を破り、WWWAタッグ王座奪取。
1984 年 8月 26日
【プロレス】
2代目タイガーマスクが全日マットでデビュー。
1984 年 8月 26日
【プロレス】
S小林の引退式が東京・福生で行われる。
1984 年 9月 1日
【プロレス】
新日本・橋本真也が後藤達俊戦でデビュー。
1984 年 9月 3日
【プロレス】
鶴田、天龍組がブルーザー・ブロディ、クラッシャー・ブラックウェル組を破り、インタータッグ王座を奪取。
1984 年 9月 21日
【プロレス】
長州力らが新団体・ジャパンプロレスを設立。維新軍のメンバーを中心に新日本から13名もの選手を引き抜き。
1984 年 10月 5日
【プロレス】
新日本・蝶野正洋と武藤敬司がデビュー戦でシングル対決。
1984 年 12月 2日
【プロレス】
大仁田がM井上に敗れ、引退を表明。
1984 年 12月 12日
【プロレス】
全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦は鶴田、天龍組が優勝。ラッシャー木村が反乱し、馬場とのタッグ解消。
1985 年 3月 3日
【プロレス】
新日本で16歳の船木優治が後藤戦でデビューを果たした。
1985 年 3月 7日
【プロレス】
顔面ペインティング、筋肉隆々の肉体を誇る“暴走戦士”ザ・ロード・ウォリアーズが初来日。全日本に参加。
1985 年 3月 21日
【プロレス】
新日本・後楽園大会で、全日本を主戦場にしていたブルーザー・ブロディが突如参戦。猪木に対戦を迫った。
1985 年 4月 7日
【プロレス】
全日本女子でクラッシュの長与と飛鳥のシングル対決は時間切れで引き分け。
1985 年 4月 26日
【プロレス】
UWFのマッハ隼人が引退した。
1985 年 4月 26日
【プロレス】
UWF格闘ロードで木戸修が優勝。
1985 年 5月 17日
【プロレス】
新日本・熊本大会で藤波がマシンに「お前は平田だろ」とリング上で正体を暴く異例のパフォーマンス。
1985 年 6月 10日
【プロレス】
元国際プロレス社長の吉原功氏が胃ガンで死去。55歳。
1985 年 7月 28日
【プロレス】
新日本の大阪城ホール大会で、ザ・コブラがヒロ斎藤とのダブルタイトルマッチに勝利。初代タイガーに並ぶ。
1985 年 8月 5日
【プロレス】
ジャパン大阪城ホール大会で長州が「これからは俺たちの時代」と世代交代を宣言。維新軍は解散、新局面へ。
1985 年 8月 22日
【プロレス】
アマレスロス五輪代表の馳浩がジャパンプロレスに入団した。
1985 年 8月 29日
【プロレス】
S・S・マシン、H斉藤、高野俊二が「カルガリー・ハリケーンズ」を正式に結成し、新日本を離脱。
1985 年 9月 19日
【プロレス】
東京体育館で猪木対藤波の師弟対決。藤波が四の字固めで師匠を追い詰めるも、猪木が気迫の卍固めで勝利。
1985 年 10月 11日
【プロレス】
タイガーがUWF脱退を表明。UWFは、タイガーと他の選手の確執、資金繰り悪化などが原因で崩壊の一途。
1985 年 10月 21日
【プロレス】
全日本の両国国技館大会でNWA王者フレアーとAWA王者マーテルが史上初の世界統一戦。リングアウトドロー。
1985 年 11月 4日
【プロレス】
全日本の大阪城ホールで鶴田と長州が初対決。互いの意地がぶつかり合い、60分フルタイムドローの名勝負に。
1985 年 12月 12日
【プロレス】
第1回IWGPタッグリーグ戦は藤波、木村組が猪木、坂口組を破り優勝。藤波は初の師匠・猪木越えを果たした。
1986 年 2月 5日
【プロレス】
長州、谷津組が鶴龍組からインタータッグ奪取。
1986 年 2月 6日
【プロレス】
藤原がかつての師匠・猪木と対戦。猪木のキックが藤原の急所に命中、直後魔性スリーパーでマットに沈んだ。
1986 年 2月 15日
【プロレス】
ジャガー横田引退。
1986 年 3月 26日
【プロレス】
5対5マッチで新日本がUWFを下す。
1986 年 4月 5日
【プロレス】
横浜文化会館で行われたタイトルマッチで、長州が反則勝ちながらもハンセンからPWFヘビー級王座を奪取。
1986 年 4月 29日
【プロレス】
三重県・津市体育館での新日本アンドレ対前田の試合は、アンドレが戦意喪失。無効試合の裁定となった。
1986 年 5月 19日
【プロレス】
全日本から新日本へ移籍した初代IWGPジュニアヘビー級王者の越中詩郎が高田延彦に敗れ、王座を明け渡した。
1986 年 5月 21日
【プロレス】
「男のけじめ」写真週刊誌に浮気を報道された猪木が丸坊主に。
1986 年 6月 12日
【プロレス】
大阪城ホールのIWGPヘビー級王座決定リーグ公式戦で前田と藤波が激突。プロレス史上に残る名勝負に。
1986 年 6月 17日
【プロレス】
猪木がアンドレから世界初のギブアップ勝ち。
1986 年 6月 19日
【プロレス】
猪木が初代IWGPチャンピオンとなる。
1986 年 6月 29日
【プロレス】
谷津が全日本アマレス選手権に出場。フリー130キロ級で優勝。
1986 年 7月 10日
【プロレス】
大相撲廃業のジョン・テンタが全日本入り。
1986 年 10月 9日
【プロレス】
猪木のレスラー生活25周年記念「INOKI闘魂LIVE」開催。猪木の試合よりも、前田の激勝に会場は熱い声援。
1986 年 11月 1日
【プロレス】
元横綱の輪島が38歳でプロレスデビュー。タイガー・ジェット・シンと対決し、上々のデビュー戦となった。
1986 年 11月 24日
【プロレス】
前田対ブロディ戦はブロディの来日キャンセルで中止に。代役の坂口相手に前田が暴走し、坂口が怒り心頭。
1986 年 12月 2日
【プロレス】
アメリカで服役中だったM斎藤が必殺技“監獄固め”を引っ提げて出所。
1987 年 1月 14日
【プロレス】
1月2日に無効試合となった藤波と木村の再対決が史上初のワンマッチ興行として開催され、藤波が勝利した。
1987 年 2月 10日
【プロレス】
アメリカで武藤を謎の海賊男が襲撃。中身は複数いるようで、新日マットでも藤波や武藤を襲った。
1987 年 6月 6日
【プロレス】
長州力の新日本復帰によってライバル不在となっていた天龍が阿修羅原と“天龍同盟”結成を宣言。
1987 年 6月 9日
【プロレス】
全日本・武道館大会で馬場が初の異種格闘技戦。自分より高いラジャ・ライオンから裏十字固めで余裕の勝利。
1987 年 6月 12日
【プロレス】
長州力が新日本に復帰。猪木がIWGP4連覇を達成直後にリングに上がり前田、藤波らと共に世代交代をアピール。
1987 年 7月 18日
【プロレス】
ジャパン女子の大和市大会で神取しのぶとジャッキー佐藤の因縁の対決。勝った神取は、試合後退団を表明。
1987 年 8月 20日
【プロレス】
新日本でアニマル浜口の引退式。
1987 年 8月 31日
【プロレス】
天龍がリングアウト勝ちで鶴田戦初勝利。
1987 年 9月 12日
【プロレス】
鶴田のインターヘビーに挑戦して敗れたN・ボックウィンクルが、このシリーズで事実上の引退。
1987 年 10月 4日
【プロレス】
猪木とM斎藤がノーピープルマッチで巌流島の決闘。猪木が斎藤を締め落とし、2時間に及んだ死闘を制す。
1987 年 10月 25日
【プロレス】
ジャパン・プロレスが解散宣言。谷津ら5選手が全日本入り。
1987 年 11月 19日
【プロレス】
新日本・後楽園大会の6人タッグで前田が長州の背後から顔面にキック。この事件で前田は無期限出場停止に。
1987 年 11月 28日
【プロレス】
全日本のハル薗田が新婚旅行に向かう途中、飛行機がインド洋沖に墜落。帰らぬ人となった。享年31歳。
1987 年 12月 11日
【プロレス】
鶴田、谷津組が世界最強タッグ決定リーグ戦優勝。
1987 年 12月 27日
【プロレス】
たけしプロレス軍の挑発に乗った猪木に大ブーイング。3年ぶりの猪木対長州を期待した会場は大荒れ。
1987 年 12月 27日
【プロレス】
馳が小林邦昭を破り、第5代IWGPジュニア王者となる。
1988 年 1月 2日
【プロレス】
全日本で元大相撲十両の田上明が馬場とタッグを組み、デビューを果たす。
1988 年 2月 7日
【プロレス】
新日本・札幌大会で越中が「トップ・オブ・スーパー・ジュニア」優勝。
1988 年 2月 25日
【プロレス】
全日本女子、ダンプ松本と大森ゆかりが引退。
1988 年 2月 26日
【プロレス】
全日本の小橋健太が大熊元司戦でデビュー。
1988 年 3月 1日
【プロレス】
新日本が前田日明の解雇を発表。
1988 年 3月 5日
【プロレス】
天龍と阿修羅原の“龍原砲”によるサンドウィッチ延髄斬りでハンセンが失神。天龍同盟の勢い加速へ。
1988 年 3月 27日
【プロレス】
全日本・武道館大会でブロディが鶴田を破り、インターヘビー級王座獲得。
1988 年 4月 22日
【プロレス】
新日本・沖縄大会のメーン終了後の控室、藤波が猪木の前で自らの髪を切り飛龍革命の決意を表した。
1988 年 5月 12日
【プロレス】
新日本を解雇された前田が新生UWFを結成。旗揚げ戦は15分で前売りチケットが完売するなど大盛況となった。
1988 年 6月 10日
【プロレス】
鶴田、谷津組がPWFタッグ王者とインタータッグ王者の二冠。「世界タッグ選手権」として両タイトルを統一。
1988 年 7月 16日
【プロレス】
ブルーザー・ブロディがレスラー兼プロモーターのホセ・ゴンザレスと口論の末、刺殺された。42歳だった。
1988 年 7月 22日
【プロレス】
札幌中島体育センターの猪木対長州一騎打ちは長州に軍配。猪木はメーンで日本人に初のピンフォール負け。
1988 年 8月 8日
【プロレス】
第2代IWGP王者・藤波に猪木が横浜体育館で挑戦。両者死力を尽くした一戦は60分フルタイムドロー。
1988 年 8月 29日
【プロレス】
全日本・武道館大会でジャイアント馬場とラッシャー木村が対戦。敗れた木村は試合後に馬場と義兄弟の盃。
1988 年 11月 10日
【プロレス】
UWF・愛知大会で、高田が前田から5度のダウンを奪って勝利。
1988 年 12月 22日
【プロレス】
大阪府立体育館でのUWF旗揚げ6戦目にリング復帰した大仁田厚が挑戦状を持って来場も、門前払いに。
1988 年 12月 25日
【プロレス】
輪島と石川敬士の引退を全日本が発表。
1989 年 2月 22日
【プロレス】
新日本・両国大会で、レフェリーのユセフ・トルコの引退式が行われた。
1989 年 2月 25日
【プロレス】
2月22日に長州にフォール負けした猪木が「1からやり直す」と前座第1試合から出場。
1989 年 4月 10日
【プロレス】
船木優治のUWF移籍が新日本から発表される。
1989 年 4月 18日
【プロレス】
東京・大田区体育館でジャンボ鶴田がスタン・ハンセンを破り、王座統一に成功。初代三冠王者となった。
1989 年 4月 20日
【プロレス】
大阪府立体育館大会での王者鶴田対天龍の三冠選手権。鶴田のパワーボムで天龍は気絶し泡を吹いて敗れた。
1989 年 4月 24日
【プロレス】
新日本が史上初の東京ドーム興行。5万3800人を動員。メーンでは猪木が異種格闘技戦で初の敗北を喫した。
1989 年 5月 6日
【プロレス】
80年代の女子プロブームを支えた全日本女子のクラッシュギャルズが長与千種の引退により解散した。
1989 年 6月 5日
【プロレス】
全日本・武道館大会で、天龍が鶴田を破り、第2代三冠王者となる。
1989 年 6月 15日
【プロレス】
坂口征二の新日本プロレス社長就任を発表。
1989 年 7月 24日
【プロレス】
猪木がスポーツ平和党を立ち上げ参議院議員選挙で比例区から立候補し、当選。史上初の現役レスラー議員に。
1989 年 10月 6日
【プロレス】
大仁田厚が元金5万円で設立した新団体FMWが旗揚げ戦を敢行。UWFと対をなす「何でもあり」プロレス団体。
1989 年 10月 25日
【プロレス】
UWF・札幌大会で前田がレフェリーストップで田村を撃破。田村は顔面骨折。
1989 年 11月 29日
【プロレス】
UWFが東京ドーム進出。「U-COSMOS」と銘打たれたこの興行で6万人を動員し、大成功をおさめる。
1989 年 11月 29日
【プロレス】
全日本世界最強タッグ公式戦で、天龍が日本人として初めて馬場からピンフォールを奪う快挙を達成。
1989 年 12月 6日
【プロレス】
全日本世界最強タッグリーグ戦で天龍、ハンセン組が初優勝。
1989 年 12月 10日
【プロレス】
FMWが「異種格闘技有刺鉄線タッグデスマッチ」。大仁田、ターザン後藤組とグレイマン、松永組が対戦。
1990 年 2月 10日
【プロレス】
坂口新体制の新日本2度目の東京ドーム興行。坂口が馬場に協力を要請し、全日本との初の対抗戦が実現した。
1990 年 3月 1日
【プロレス】
ルチャ・リブレを主体とする団体、ユニバーサルプロレスが旗揚げ。
1990 年 3月 23日
【プロレス】
3月15日に故郷の久留米市で引退記念マッチを行った坂口が、後楽園ホールで引退試合。今後は社長業に専念。
1990 年 4月 7日
【プロレス】
天龍が天龍同盟解散を発表。
1990 年 4月 13日
【プロレス】
日本初上陸のアメリカWWFと新日&全日が3団体合同による「日米レスリングサミット」を東京ドームで開催。
1990 年 5月 4日
【プロレス】
UWFの日本武道館大会で前田と船木が初対決。片羽締めで前田が勝利。
1990 年 5月 10日
【プロレス】
大手企業の資金をバックに誕生した新団体SWSが記者会見。天龍らが参加も運営方法は金権プロレスと批判も。
1990 年 5月 14日
【プロレス】
全日本の東京体育館大会でタイガーマスクは川田と組み、谷津、冬木組と対戦。試合中、自らマスクを取った。
1990 年 6月 8日
【プロレス】
5月14日に自ら正体を明かした元タイガーマスクの三沢光晴が、鶴田から初のフォール勝ちで“鶴田越え”。
1990 年 6月 12日
【プロレス】
新日本の福岡国際センター大会で、馳浩が試合後に突然倒れ、心臓停止。リングドクターの処置で助かる。
1990 年 8月 4日
【プロレス】
FMWが大仁田厚対ターザン後藤の試合で史上初となる「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」。
1990 年 8月 19日
【プロレス】
長州がベイダーを破り、IWGP初戴冠。
1990 年 9月 7日
【プロレス】
新日本の大阪府立体育会館大会で、アメリカで活躍していたグレート・ムタが日本デビュー。正体は武藤敬司。
1990 年 9月 25日
【プロレス】
新日本の藤波辰爾は大相撲の部屋制度に倣い、ドラゴンボンバーズを結成。メンバーは越中、ライガーら6人。
1990 年 9月 29日
【プロレス】
日本マット界を支える二大巨頭・馬場、猪木が共に30周年記念興行。それぞれ健在ぶりをアピールした。
1990 年 10月 18日
【プロレス】
SWSが横浜アリーナで正式な旗揚げ戦。
1990 年 10月 26日
【プロレス】
FMWで日本初の男女混合タッグマッチ。
1990 年 12月 1日
【プロレス】
UWFの長野・松本大会で、フロント批判をしたとして出場停止処分中の前田が選手間の一致団結をアピール。
1990 年 12月 3日
【プロレス】
猪木がイラク・バグダットで「平和の祭典」を開催。プロレス興行も敢行。
1990 年 12月 26日
【プロレス】
74歳のルー・テーズが蝶野にSTFで敗れ、57年のレスラー生活に別れ。
1991 年 1月 7日
【プロレス】
UWFは選手のみで都内で会合を持つも、方向性の違いなどから解散を宣言。藤原、高田、前田の3派に分散へ。
1991 年 2月 5日
【プロレス】
新日本・札幌大会で橋本がトニー・ホームに2連敗し、翌日から休場。
1991 年 2月 7日
【プロレス】
猪木寛至参議院議員が東京都知事選立候補を表明。しかし、福田元総理の説得により後日出馬を断念。
1991 年 2月 15日
【プロレス】
長州が初代グレーテスト18クラブ王者に。
1991 年 3月 21日
【プロレス】
藤波辰爾がNWA世界ヘビー級王者リック・フレアーを破るも、WCW側からの抗議により王座奪取ならず。
1991 年 3月 30日
【プロレス】
SWSとWWFが合同興行。天龍、ホーガン組がリージョン・オブ・ドゥーム(ロード・ウォリアーズ)と対決。
1991 年 3月 30日
【プロレス】
元大相撲十両の維新力がデビュー。
1991 年 4月 1日
【プロレス】
SWS神戸大会の北尾光司対ジョン・テンタの試合で、反則負けとなった北尾が「八百長」発言し、解雇。
1991 年 7月 23日
【プロレス】
全日本を解雇された阿修羅原がSWS入団。
1991 年 8月 7日
【プロレス】
FMW内の反大仁田派が独立、W★INGを旗揚げ。ミスター・ポーゴら“格闘3兄弟”がエースに抜擢された。
1991 年 8月 11日
【プロレス】
新日本の第1回G1クライマックス優勝戦は、蝶野が武藤を下し優勝を飾った。全敗した長州には引退騒動も。
1991 年 9月 23日
【プロレス】
FMWが川崎球場に初進出。メーンの大仁田対後藤の一戦は「ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチ」。
1991 年 10月 27日
【プロレス】
ロッキー羽田が内臓疾患で死去。43歳。
1991 年 12月 6日
【プロレス】
全日本の世界最強タッグ決定リーグ戦の決勝戦は、スティーブ・ウィリアムス、テリー・ゴティ組が2連覇。
1991 年 12月 7日
【プロレス】
リングス・有明大会で正道会館の選手が初参戦。角田伸朗、佐竹雅昭がリングに上がった。
1991 年 12月 12日
【プロレス】
SWSが東京ドームに進出。メーンのハルク・ホーガン対天龍源一郎は、ホーガンがアックスボンバーで勝利。
1991 年 12月 18日
【プロレス】
猪木への挑戦権を賭け、タイガー・ジェット・シンと馳浩が巌流島で決闘。1時間11分の死闘は馳に軍配。
1991 年 12月 22日
【プロレス】
Uインターの両国国技館大会で高田がボクシング元世界ヘビー級王者バービックと対戦も、試合放棄される。
1992 年 1月 4日
【プロレス】
新日本の東京ドーム大会で藤波辰爾と長州力のダブルタイトルマッチ。長州が勝ち、シングル二冠を手中に。
1992 年 1月 21日
【プロレス】
全日本の大阪府立体育会館大会で鶴田軍対超世代軍。両軍は4月にも激突したが、11月に鶴田が病気で離脱。
1992 年 1月 26日
【プロレス】
ジャパン女子が5年5カ月の歴史に幕。
1992 年 2月 9日
【プロレス】
W★INGの松永光弘が後楽園ホールの2階バルコニー席からダイブ。“ミスター・デンジャー”の称号を獲得。
1992 年 4月 3日
【プロレス】
JWPが旗揚げ。
1992 年 4月 30日
【プロレス】
抗争を続けていた誠心会館と新日本が誠心会館の看板を懸けて対戦。新日の小林邦昭が勝ち、看板を奪った。
1992 年 5月 6日
【プロレス】
FMWが神戸でファイヤーデスマッチ。試合開始後まもなくリングが酸欠状態になり無効試合。選手も大やけど。
1992 年 5月 25日
【プロレス】
天龍、田中八郎メガネスーパー社長らがSWSの解散会見。「金権プロレス」と批判を受け、2年で崩壊に至った。
1992 年 7月 14日
【プロレス】
天龍率いるWARが後楽園ホールで旗揚げ。
1992 年 7月 26日
【プロレス】
剛率いるオリエンタルプロレスが旗揚げ。
1992 年 8月 12日
【プロレス】
新日本の第2回G1クライマックスの優勝決定戦は蝶野対ルード。蝶野が連覇を達成し、NWAのベルトも巻いた。
1992 年 8月 22日
【プロレス】
武道館大会で三沢が三冠ヘビー級王者ハンセンに挑戦し、勝利。全日本至宝の三冠ベルトを巻き、新王者に。
1992 年 8月 29日
【プロレス】
日本初のプロレス団体女社長、風間ルミ率いるLLPWが旗揚げ。
1992 年 9月 17日
【プロレス】
全日本の秋山準がセミでデビューの破格な扱い。
1992 年 9月 21日
【プロレス】
Uインターの高田がG・オブライトを破り、初代プロレスリングヘビー級チャンピオンとなる。
1992 年 10月 4日
【プロレス】
東京ドームで藤原組の興行が大成功。
1992 年 10月 23日
【プロレス】
北尾光司がUインター参戦。日本武道館で高田延彦との参戦第2ラウンドも、高田のハイキックにあえなく撃沈。
1992 年 11月 23日
【プロレス】
アメリカで結成されたヘル・レイザースが新日本の両国国技館大会で日本初見参。11月にはIWGPタッグ王者に。
1992 年 12月 20日
【プロレス】
W★ING戸田大会で松永がレザー・フェイスとネイルデスマッチ。松永が場外の五寸釘ボードに転落して敗れる。
1992 年 12月 27日
【プロレス】
全日本の大熊元司が急性心不全で死去。51歳。
1993 年 1月 14日
【プロレス】
新日本東京ドーム大会で長州と天龍が6年4ヵ月ぶりに激突。勝った天龍は翌年に東京ドームでの猪木戦が内定。
1993 年 1月 23日
【プロレス】
リングス「メガバトル・トーナメント」でクリス・ドールマンが優勝。前田は 3位に終わる。
1993 年 1月 29日
【プロレス】
アンドレ・ザ・ジャイアントが急性心不全のため46歳で死去。31日には新日本が追悼セレモニーを行った。
1993 年 2月 17日
【プロレス】
大仁田厚が急性扁桃腺炎で緊急入院。前年12月に道頓堀川にダイブし、体中の傷から細菌が入ったのが原因か。
1993 年 3月 16日
【プロレス】
ユニバーサル・プロレスから独立した、サスケ率いる「みちのくプロレス」が地域密着を目指し旗揚げ。
1993 年 3月 23日
【プロレス】
新日本ヤングライオン杯で西村修を破った山本広吉(天山広吉)が優勝。
1993 年 3月 30日
【プロレス】
W★INGマット中牧昭二がシングル戦初勝利。
1993 年 4月 2日
【プロレス】
横浜アリーナで女子プロレス初のオールスター戦。メーンでは北斗昌が神取忍を破り、壮絶な流血戦を制した。
1993 年 5月 5日
【プロレス】
FMW川崎球場大会で大仁田とテリー・ファンクがノーロープ有刺鉄線電流爆破超大型時限爆弾デスマッチ。
1993 年 5月 17日
【プロレス】
猪木議員の金銭疑惑が週刊誌で告発される。
1993 年 5月 20日
【プロレス】
田上明と川田利明が結成した聖鬼軍が、札幌大会で世界タッグ王者を奪取。第22代王者に輝いた。
1993 年 5月 24日
【プロレス】
WARマットでザ・グレート・カブキとグレート・ムタの親子タッグが実現。
1993 年 6月 17日
【プロレス】
W★INGの後楽園ホール大会「月光闇討ちデスマッチ」は、松永光弘がフレディ・クルーガーに敗れる。
1993 年 8月 8日
【プロレス】
両国7連戦となったG1クライマックスの決勝戦は馳と藤波の対戦。藤波が勝利し、G1初制覇を達成した。
1993 年 8月 17日
【プロレス】
ユニバーサルプロレスが活動休止。
1993 年 9月 21日
【プロレス】
船木誠勝率いる「パンクラス」が東京ベイNKホールで旗揚げ戦。Uスタイルをさらに進化させ、秒殺が話題に。
1993 年 10月 23日
【プロレス】
B型肝炎のため入院していた鶴田が全日本の武道館大会で367日ぶりに復帰。馬場と共に6人タッグに出場。
1993 年 11月 11日
【プロレス】
アメリカ・デンバーで行われた第1回UFC大会で、ホイス・グレイシーが優勝。
1993 年 12月 5日
【プロレス】
神宮球場でUインターのプロレスリング世界ヘビー級選手権。ベイダーを破った高田は、試合後に婚約も発表。
1993 年 12月 6日
【プロレス】
全日本女子の両国国技館大会で、神取が北斗から4月の借りを返す勝利。敗れた北斗は公約通りに引退を表明。
1994 年 1月 4日
【プロレス】
新日本東京ドーム大会メーンで猪木と天龍が激突。終始猪木がペース握るも、最後は天龍のフォール勝ち。
1994 年 1月 4日
【プロレス】
新日本・東京ドーム大会でライガーに敗れた3代目タイガーマスクが自らマスクを脱いだ。正体は金本浩二。
1994 年 1月 21日
【プロレス】
前田がリングストーナメントで優勝。
1994 年 2月 4日
【プロレス】
みちのくプロレスが後楽園ホールで興行。大成功に終わるも、収益金が持ち逃げされていたことが発覚。
1994 年 2月 15日
【プロレス】
UWFインターが横浜でトーナメント開催の記者会見。席上に1億円を積み、他団体エースに参加を呼びかけ。
1994 年 2月 17日
【プロレス】
天龍越えを目指していた橋本が3度目の正直で悲願の初勝利。
1994 年 4月 3日
【プロレス】
安生が前田に対し、「200%勝つ自信がある」と発言。
1994 年 4月 16日
【プロレス】
各団体のジュニアヘビー級戦士による「スーパーJカップ」開催。ワイルド・ペガサスがサスケを破って優勝。
1994 年 4月 16日
【プロレス】
全日本・日本武道館大会で行われたチャンピオン・カーニバル優勝戦で、川田利明が初優勝。
1994 年 5月 1日
【プロレス】
新日本・福岡ドーム大会で猪木引退カウントダウンマッチ第1戦。ムタの毒霧を浴びながらも猪木が貫録勝ち。
1994 年 5月 5日
【プロレス】
FMW川崎球場大会、ノーロープ有刺鉄線金網電流爆破デスマッチで天龍に敗れた大仁田が、1年後の引退を宣言。
1994 年 5月 7日
【プロレス】
アメリカWWFが日本4都市で単独興行。
1994 年 7月 4日
【プロレス】
リングス・大阪府立体育会館大会メーンの前田日明対ディック・フライは、リングス史上初の乱闘劇に。
1994 年 8月 28日
【プロレス】
FMW大阪城ホール大会で大仁田が青柳政司とのデスマッチ。試合後、大仁田の全身の傷が1000針を突破。
1994 年 10月 15日
【プロレス】
パンクラス・両国国技館大会で鈴木みのると船木誠勝のエース対決。1分51秒の攻防戦は、船木が感涙の勝利。
1994 年 11月 13日
【プロレス】
東京ベイNKホールで平成維震軍が旗揚げ。
1994 年 11月 20日
【プロレス】
全日本女子が初の東京ドーム興行。
1994 年 11月 28日
【プロレス】
WWFで新崎人生が「白使」としてデビュー。
1994 年 12月 7日
【プロレス】
Uインターの安生洋二がロサンゼルスのグレイシー道場を襲撃するも、ヒクソン・グレイシーに返り討ちに。
1994 年 12月 25日
【プロレス】
ユニオンプロレスの流山大会で、リングのマムシ入りケースに投げ込まれたポイズン澤田が、腕を噛まれ悶絶。
1995 年 2月 19日
【プロレス】
東京・両国国技館で新日本の星野勘太郎引退記念興行が開催された。
1995 年 3月 16日
【プロレス】
現役を引退していたグレート小鹿が、ケンドー・ナガサキをエースとする大日本プロレスを旗揚げ。
1995 年 4月 2日
【プロレス】
『週刊プロレス』のベースボール・マガジン社主催で13団体が参加の“夢の架け橋”が東京ドームで行われた。
1995 年 4月 15日
【プロレス】
全日本のC・カーニバルで三沢光晴が初優勝。
1995 年 4月 28日
【プロレス】
猪木が北朝鮮で「平和のための平壌国際体育・文化祭典」を開催。2日間で38万人を動員する大イベントに。
1995 年 5月 3日
【プロレス】
新日本・福岡ドーム大会でIWGPヘビー級選手権試合が行われ、挑戦者の武藤が王者橋本を破り、第17代王者に。
1995 年 5月 5日
【プロレス】
FMW川崎球場大会、大仁田がハヤブサ戦で引退。全身1049針の傷跡とともに、2度目の現役生活にピリオド。
1995 年 6月 12日
【プロレス】
新日本・大阪大会で、1月に帰国した天山が蝶野と組んで橋本、平田淳嗣組を破り、第25代IWGPタッグ王者に。
1995 年 6月 26日
【プロレス】
人工透析を受けながら現役を続けていた、日本人レスラー最長老のミスター・珍が慢性腎不全で死去。62歳。
1995 年 7月 19日
【プロレス】
セッド・ジニアスがUNWを旗揚げ。
1995 年 7月 23日
【プロレス】
新日本の馳が参議院選挙で当選を果たした。また、猪木は落選。
1995 年 8月 15日
【プロレス】
武藤がG1クライマックス決勝で橋本を破り、初優勝。史上初めてIWGPとG1の二冠を達成した。
1995 年 8月 18日
【プロレス】
Uインター・東京ベイNKホール大会メーンで、勝った田村がリング上から高田との対戦を直談判も、実現せず。
1995 年 10月 1日
【プロレス】
健介と北斗が結婚した。
1995 年 10月 9日
【プロレス】
新日本とUインターの全面対抗戦が超満員の東京ドームで行われ、全8戦を新日本が5勝3敗と底力を見せた。
1995 年 10月 29日
【プロレス】
藤波辰爾が、新日本に所属しながら「無我」を立ち上げた。原点回帰のプロレスを目指す。西村修も参戦。
1995 年 11月 28日
【プロレス】
東京プロレスが同団体認定タッグチャンピオンのベルトを公開。ダイヤがはめ込まれ、時価3億円とも。
1996 年 1月 4日
【プロレス】
新日本・東京ドーム大会で高田が武藤を破り、第18代IWGPヘビー級王者に。新日の至宝が他団体に初流出。
1996 年 1月 4日
【プロレス】
ファールカップをつけず急所攻撃で敗れた高山に、安生が「だから金カップつけろって言っただろ」と発言。
1996 年 1月 4日
【プロレス】
1・4東京ドームで馳が健介を相手に新日本引退試合を行った。
1996 年 4月 13日
【プロレス】
藤原組から独立した格闘探偵団「バトラーツ」(代表・石川雄規)が、小田原で旗揚げ。
1996 年 6月 30日
【プロレス】
横浜アリーナで「力道山メモリアル」。メジャー、インディーの選手が多数参加。長州はインディーを批判。
1996 年 8月 2日
【プロレス】
各団体のジュニア王者が持ち寄った8本のベルトがかけられた「J-CROWN」が開催。サスケが8冠を手にした。
1996 年 8月 6日
【プロレス】
6回目のG1クライマックスは、2年ぶりの参戦となった長州が決勝で蝶野を下し、史上初の全勝優勝を飾った。
1996 年 9月 16日
【プロレス】
長州のインディー批判に噛みついた大日本のグレート小鹿社長以下選手たちが、新日本に対抗戦を迫る。
1996 年 10月 8日
【プロレス】
迷走するUインター勢が東京プロレスに参戦。高田がアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し、勝利を飾った。
1996 年 11月 16日
【プロレス】
馳の全日本入団が発表された。
1996 年 12月 7日
【プロレス】
東京プロレス両国国技館大会にインディーが大集結。初代ダイガー、カブキなど堂々たる顔ぶれが参戦。
1996 年 12月 27日
【プロレス】
Uインターが後楽園ホールで最後の興行。解散を宣言した。
1997 年 1月 10日
【プロレス】
新団体「FFF」が資金繰りの悪化で旗揚げ前に崩壊。第3勢力の期待もインディー団体の細分化に繋がる。
1997 年 2月 2日
【プロレス】
NWOジャパンが新日マットで誕生。
1997 年 4月 12日
【プロレス】
東京ドームで柔道王・小川直也と破壊王・橋本真也が激突。下馬評を覆し、小川が橋本を失神KO。
1997 年 5月 14日
【プロレス】
高木三四郎らのDDTが北沢タウンホールで旗揚げ。
1997 年 8月 3日
【プロレス】
新日本の佐々木健介がG1初制覇。
1997 年 8月 13日
【プロレス】
鹿児島でリングスの前田日明が「パンクラスを潰す」と発言。これに高橋義生も反応したが結局対戦ならず。
1997 年 8月 16日
【プロレス】
JWPのプラム麻里子が事故が原因で死去。29歳。
1997 年 10月 11日
【プロレス】
高田延彦が“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーに挑むも敗退。プロレス最強神話の崩壊となった。
1998 年 1月 4日
【プロレス】
長州力が引退試合。レスラー生活24年間に幕。5人掛けの道場マッチ形式で後輩に“維新魂”を伝授した。
1998 年 4月 4日
【プロレス】
アントニオ猪木が引退試合でドン・フライを退け、“燃える闘魂”レスラー生活38年間の有終の美を飾った。
1998 年 6月 5日
【プロレス】
新日本・武道館大会で、猪木の新団体「UFO」参加が噂される小川直也が新日本・坂口征二社長に殴りかかる。
1998 年 7月 1日
【プロレス】
日本プロレスで活躍した後、東京プロレスを設立、旗揚げ直後の新日本リングにも上がった豊登が死去。67歳。
1998 年 7月 7日
【プロレス】
大仁田厚が新団体「ZEN」を旗揚げ。
1998 年 10月 11日
【プロレス】
アレクサンダー大塚がPRIDE4でマルコ・ファスを破る大金星。
1998 年 10月 24日
【プロレス】
猪木が小川をエースとする「UFO」を旗揚げ。
1998 年 12月 11日
【プロレス】
大仁田が新団体「USO」を旗揚げ。同日シークの引退セレモニーが行われる。
1999 年 1月 4日
【プロレス】
小川直也と橋本真也が三度目の対決。小川が終始圧倒するも、セメントまがいの試合で無効試合となる。
1999 年 1月 4日
【プロレス】
大仁田厚が東京ドーム大会で佐々木健介と対戦。火炎攻めで反則負けも、邪道スタイル持ち込みに成功。
1999 年 1月 19日
【プロレス】
芳の里淳三氏が多臓器不全のため死去。70歳。
1999 年 1月 31日
【プロレス】
ウルティモ・ドラゴンがメキシコで開いた「闘龍門ジム」の生徒による興行が後楽園ホールで開催される。
1999 年 2月 14日
【プロレス】
M斎藤が新日本・武道館大会でスコット・ノートン相手に引退試合。
1999 年 2月 21日
【プロレス】
リングスの横浜アリーナ大会で前田日明の引退試合。“人類最強の男”アレキサンダー・カレリンと対戦。
1999 年 2月 22日
【プロレス】
平成維新軍が解散を発表。越中は新日本本隊復帰を表明した。
1999 年 3月 6日
【プロレス】
ジャンボ鶴田が全日本・武道館大会で引退セレモニー。取締役も辞任し、アメリカの大学の交換教授に。
1999 年 4月 10日
【プロレス】
大仁田厚と蝶野正弘が東京ドーム大会でノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行い、両者KO。
1999 年 4月 29日
【プロレス】
スペル・デルフィン率いる大阪プロレス旗揚げ。
1999 年 5月 2日
【プロレス】
1月31日に肝不全のため61歳で死去したジャイアント馬場の「引退」記念興行が東京ドームで行われた。
1999 年 6月 24日
【プロレス】
藤波の新日本社長就任が発表された。
1999 年 7月 23日
【プロレス】
大森隆男と高山善廣の「ノーフィアー」が、日本武道館大会で史上初の世界&アジアのタッグ三冠に。
1999 年 8月 15日
【プロレス】
新日本のG1クライマックス最終日。優勝戦には中西学と武藤敬司が勝ち上がり、中西が初制覇。
1999 年 11月 14日
【プロレス】
東京ベイNKホールのUFC-J大会終了後、前田が負傷欠場していた安生に背後から殴打される事件勃発。
1999 年 11月 27日
【プロレス】
ヒロ・マツダが肝臓がんのため死去。62歳。
2000 年 1月 4日
【プロレス】
新日本、インターUなどで活躍した山崎一矢が19年の選手生活に幕。
2000 年 1月 7日
【プロレス】
藤田和之が新日本退団。PRIDE参戦表明。
2000 年 2月 20日
【プロレス】
新日正規軍対T2000全面対決は黒の軍団が勝利した。
2000 年 3月 11日
【プロレス】
第2回メモリアル力道山で、タッキーが猪木から高速3カウントを奪う。
2000 年 3月 26日
【プロレス】
全日本C・カーニバルで秋山がわずか7秒で大森にフォール負け。
2000 年 4月 7日
【プロレス】
橋本真也が5度目の小川直也戦でKO負け。試合前の公約通り引退したが、10月に復帰し新道場を立ち上げる。
2000 年 4月 19日
【プロレス】
新日本の福田雅一が14日の試合で意識不明となり、脳内出血で死去。27歳。
2000 年 5月 1日
【プロレス】
PRIDE GP2000で桜庭がホイス・グレイシーを破る。
2000 年 5月 13日
【プロレス】
ジャンボ鶴田こと鶴田友美氏が、肝臓移植の手術中にフィリピン・マニラ市内の病院で死去。49歳。
2000 年 5月 26日
【プロレス】
「コロシアム2000」東京ドーム大会で船木誠勝がヒクソン・グレーシーに敗れ、試合後衝撃の引退宣言。
2000 年 7月 1日
【プロレス】
選手大量離脱となった全日本が新シリーズ開幕。天龍源一郎が10年ぶりに出戻るなど新生全日本をアピール。
2000 年 7月 23日
【プロレス】
天山広吉、小島聡組対永田裕志、中西学組のIWGPタッグ選手権大会が行われ、天山、小島組が初戴冠。
2000 年 7月 30日
【プロレス】
大仁田厚が新日本の横浜アリーナ大会で長州力の引っ張り出しに成功。敗れたものの存在感を示す。
2000 年 8月 5日
【プロレス】
全日本を退団した三沢光晴の新団体「ノア」旗揚げ戦がディファ有明で開催。チケット即日完売の大盛況。
2000 年 10月 9日
【プロレス】
新日本対全日本の対抗戦が新日本・東京ドーム大会で実現。メーン対決で佐々木健介が川田利明に敗れる。
2001 年 1月 4日
【プロレス】
川田利明に敗れてベルトを返上した佐々木健介がベルト争奪戦決勝で川田に勝ち、第27代IWGP王座に返り咲く。
2001 年 1月 4日
【プロレス】
長州対橋本の遺恨対決は、両者打撃の応酬でフォールにいかず、藤波社長の判断でレフェリーストップに。
2001 年 1月 28日
【プロレス】
東京ドームでのジャイアント馬場三回忌追悼興行で、スタン・ハンセンの引退セレモニーが行われる。
2001 年 3月 2日
【プロレス】
橋本の新団体「ゼロワン」の旗揚げ戦が両国国技館で開催。メーン終了後に小川が乱入する波乱もあった。
2001 年 3月 17日
【プロレス】
武藤、大谷らがユニット結成。その後、全日本の太陽ケア、馳らも取り込み「BATT」を結成する。
2001 年 4月 9日
【プロレス】
藤田がS・ノートンを破り、IWGP初戴冠。第29代王者となる。
2001 年 4月 15日
【プロレス】
ノアの初代GHCヘビー級王者は三沢が戴冠。
2001 年 5月 5日
【プロレス】
タッグマッチながら長州力対小川直也の対決が実現。しかし見せ場もあまりなく、淡々とした試合となった。
2001 年 5月 7日
【プロレス】
元大日本の田尻義博がWWFマットでTAJIRIとしてデビュー。
2001 年 6月 8日
【プロレス】
全日本の武道館大会で武藤敬司が天龍源一郎を破り、三冠王者に。全日本至宝の三冠ベルトが新日本に流出。
2001 年 7月 18日
【プロレス】
T・ゴディが死去。40歳。
2001 年 8月 12日
【プロレス】
永田がG1クライマックス初優勝。
2001 年 10月 8日
【プロレス】
プロレス50周年と銘打たれた新日本の東京ドーム大会にザ・ファンクスが初見参。往年のファンを魅了した。
2001 年 12月 31日
【プロレス】
「INOKI-BOM-BA-YA2001」メーンで、主将に大抜擢の安田忠夫がジェロム・レ・バンナから大金星を挙げる。
2002 年 1月 4日
【プロレス】
新日本のマット上でノアのGHC王者・秋山準と永田裕志のタイトルマッチ。秋山が3度目の防衛に成功。
2002 年 1月 18日
【プロレス】
武藤敬司が、小島、カシンらと新日本から全日本への移籍を発表。全日本は選手の大量離脱から完全復活。
2002 年 2月 1日
【プロレス】
新日本・札幌大会のリング上で猪木が蝶野を現場監督に指名。創業者として選手一人一人に意識改革を促した。
2002 年 2月 15日
【プロレス】
リングス活動停止。前田日明代表が「必ず戻ってくる」とファンに挨拶。
2002 年 2月 16日
【プロレス】
大仁田厚を中心に数々のデスマッチを敢行してきたFMWが事実上倒産し、これを苦に社長の荒井昌一氏が自殺。
2002 年 2月 16日
【プロレス】
安田忠夫が両国大会で永田を破り、IWGP第30代チャンピオンとなる。
2002 年 3月 1日
【プロレス】
アメリカWWFが8年ぶりに日本上陸。
2002 年 4月 10日
【プロレス】
FMWの冬木弘道が大腸がんのため、引退。
2002 年 4月 20日
【プロレス】
TAKAみちのくがKAIENTAI DOJOを旗揚げ。
2002 年 4月 28日
【プロレス】
ルー・テーズがアメリカ・フロリダ州の病院で死去。享年86歳。
2002 年 5月 2日
【プロレス】
新日本創立30周年記念興行が東京ドームで開催。三沢対蝶野というノア&新日本の頂上対決が実現した。
2002 年 8月 8日
【プロレス】
新日本の広島グリーンアリーナ大会で魔界倶楽部が新日本のマットを席巻。闘魂伝承と猪木の近衛兵軍を宣言。
2002 年 8月 28日
【プロレス】
ハヤブサが新団体WMFを旗揚げ。
2002 年 10月 1日
【プロレス】
武藤が全日本の社長に就任。
2002 年 11月 17日
【プロレス】
武藤とK-1の石井館長によるレッスル1が横浜アリーナで開催。費用一億円の豪華な演出でファンを魅了した。
2002 年 11月 24日
【プロレス】
Uインター時代の因縁の対決・高田延彦対田村潔司戦が高田の引退試合として行われ、田村が高田を破った。
2003 年 1月 4日
【プロレス】
新日本・東京ドームで高坂剛を破った高山が復活NWFヘビー級初代王者に。
2003 年 2月 23日
【プロレス】
全日本の武道館大会にゼロワン勢が乗り込んだ。メーンの三冠選手権は橋本対武藤。橋本が三冠王者になった。
2003 年 3月 1日
【プロレス】
ノアの武道館大会で三沢と小橋健太の対決がGHCヘビー級選手権大会で実現。小橋が6代目GHCチャンピオンに。
2003 年 3月 1日
【プロレス】
長州力が設立したWJの旗揚げ興行が横浜アリーナで開催。しかし、長州の怪我など波乱に満ちた船出となった。
2003 年 4月 13日
【プロレス】
サスケが岩手県議会議員にトップ当選。
2003 年 4月 18日
【プロレス】
木村健吾が西村と引退試合を行い、ドロー。
2003 年 4月 23日
【プロレス】
新日本・広島サンプラザホール大会でIWGP王者の永田裕志が安田裕志を退け、防衛10回の新記録を達成。
2003 年 4月 23日
【プロレス】
4代目タイガーマスクがIWGPジュニア王座初戴冠。
2003 年 5月 2日
【プロレス】
新日本の東京ドーム大会で小橋対蝶野のGHCヘビー級選手権。王者小橋に凱歌。
2003 年 5月 5日
【プロレス】
故冬木弘道さんが1試合限りの復帰を目指していたWEW川崎球場大会で、橋本と金村が遺骨を持ってリングに。
2003 年 8月 10日
【プロレス】
秋山準や高山善廣も参戦した新日本G1クライマックスは、秋山と天山源一郎が決勝で激突。天山が優勝した。
2003 年 9月 14日
【プロレス】
新日本の坂口CEOが1試合限りの復帰。
2003 年 11月 2日
【プロレス】
みちのく10周年記念興行のメーンで、スペル・デルフィンとサスケが因縁の対決。わだかまりは消えず。
2003 年 11月 22日
【プロレス】
サンダー杉山が心不全で死去。63歳。
2003 年 12月 9日
【プロレス】
新日本・大阪大会で、デビュー1年4ヶ月の中邑真輔が王者・天山を破り史上最年少23歳でIWGP王者に。
2004 年 1月 4日
【プロレス】
“ファインティングオペラ”「ハッスル」が誕生。小川&橋本のOH砲対高田PRIDE本部長との舌戦から発展。
2004 年 1月 4日
【プロレス】
新日本の東京ドーム大会でIWGP王者中邑がNWF王者高山善廣を破り王座統一。NWFのベルト封印を宣言した。
2004 年 1月 5日
【プロレス】
WJの中嶋勝彦が史上最年少となる15歳でプロレスデビュー。
2004 年 3月 28日
【プロレス】
新日本・両国大会でボブ・サップがIWGP王者の佐々木健介を破る。試合後はK-1軍と共に新日本に宣戦布告。
2004 年 5月 3日
【プロレス】
新日本・東京ドーム大会で、新日本対K-1軍の対抗戦が行われ、2勝2敗。
2004 年 7月 10日
【プロレス】
ノアが初の東京ドーム興行。GHCヘビー級選手権試合では王者・小橋健太が秋山準を退け、9度目の防衛に成功。
2004 年 7月 10日
【プロレス】
R木村が体調不良のため、引退を表明。ついにマイクを置いた。
2004 年 7月 17日
【プロレス】
ドラゴンゲートがフジテレビのイベントで、「お台場毎日プロレス」を開催。8月31日まで。
2004 年 8月 1日
【プロレス】
ゼロワンの佐藤耕平が後楽園ホールで行われた「火祭り」で初優勝。長期離脱の橋本からエース取り宣言。
2004 年 8月 15日
【プロレス】
両国国技館で、天山広吉対棚橋弘至のG1クライマックス優勝戦。天山が史上2人目のG1連覇を達成した。
2004 年 10月 9日
【プロレス】
新日本・両国大会でIWGP王者、藤田和之が佐々木健介に不本意な展開で敗れる。また長州力が新日本に出戻り。
2004 年 10月 31日
【プロレス】
武藤20周年興行で三沢、武藤のドリームタッグが馳、健介組を破る。
2004 年 11月 3日
【プロレス】
蝶野20周年興行が両国国技館で行われ、蝶野、長州の反新日タッグが天山、永田組に勝利。
2004 年 12月 16日
【プロレス】
ドラゴンゲート東京・代々木第2体育館大会でフロリダブラザーズがDo FIXERと対戦し、敗北を喫した。
2005 年 1月 4日
【プロレス】
新日本・東京ドーム大会でタイガーマスクがヒートからIWGPジュニア王座を奪還。ヒートはV12ならず。
2005 年 2月 20日
【プロレス】
かつての名タッグ“テンコジ”天山広吉と小島聡が新日本、全日本と袂を分かち対決。小島が“四冠”王者に。
2005 年 3月 5日
【プロレス】
ノアの日本武道館大会で13回連続防衛中の小橋健太は、かつての弟子、力皇に敗れる。力皇が第13代GHC王者に。
2005 年 3月 26日
【プロレス】
大仁田が明治大学を卒業した夜に、後楽園ホールで「プロレス卒業」興行。
2005 年 6月 9日
【プロレス】
佐山が後楽園ホールで真日本(リアルジャパン)プロレスを旗揚げ。
2005 年 7月 11日
【プロレス】
橋本真也さんが脳幹出血のため40歳の若さで亡くなった。30日には団体のしがらみを越えて業界葬が営まれた。
2005 年 7月 18日
【プロレス】
ノア創立5周年記念の東京ドーム大会メーンで三沢光晴と川田利明が5年ぶりの激突。三沢に凱歌が揚がった。
2005 年 7月 19日
【プロレス】
ドラゴンゲートを解雇されたメンバーを中心にして、ドラゴンドアが後楽園ホールで旗揚げ。
2005 年 8月 4日
【プロレス】
ビッグマウス・上井プロデュース「WRESTLE-1」が両国国技館で旗揚げ。ムタ、曙ら豪華なラインアップが出場。
2005 年 8月 10日
【プロレス】
新団体「ビッグマウスラウド」が設立。9月11日には後楽園ホールで旗揚げ戦。引退した船木誠勝も姿を見せた。
2005 年 8月 21日
【プロレス】
K-1で不振が続く曙が全日本武藤社長に弟子入り。シリーズ全戦に帯同し、武藤との師弟パフォーマンスも。
2005 年 10月 1日
【プロレス】
坂口が都内に「坂口道場」を開設。
2005 年 11月 3日
【プロレス】
狂言師の和泉元彌が「ハッスルマニア2005」でプロレスデビュー。鈴木健想を“空中元彌チョップ”で破る。
2005 年 11月 14日
【プロレス】
猪木が自身の持つ新日本プロレスの株式51.5%を株式会社ユークスに売却。新日本はユークスの子会社に。
2005 年 12月 28日
【プロレス】
“偽造王”でDDT社長の一宮章一が、学業に専念するため、引退を表明。
2006 年 1月 28日
【プロレス】
ブラック・キャットが心不全で死去。51歳。
2006 年 3月 23日
【プロレス】
永源がノアの後楽園大会でラストファイト。
2006 年 4月 2日
【プロレス】
DDT後楽園ホール大会で、“ハードゲイ”と化した大鷲透がKO-D王者の男色ディーノを破り、第22代王者に。
2006 年 6月 7日
【プロレス】
ジョン・テンタが42歳で死去。
2006 年 6月 27日
【プロレス】
全日本の馳が引退。
2006 年 7月 6日
【プロレス】
全日本の嵐が大麻不法所持で逮捕。
2006 年 7月 16日
【プロレス】
高山善廣が脳梗塞による長期欠場から復帰し、2年ぶりの試合を行った。健介と組み、三沢、秋山組と対決した。
2006 年 7月 17日
【プロレス】
棚橋弘至がトーナメントを制し、IWGP王座初戴冠。
2006 年 7月 27日
【プロレス】
腎臓がんの摘出手術を受けていた小橋健太が退院した。術後の転移もなく、リハビリなどで驚異的に回復。
2006 年 9月 3日
【プロレス】
鈴木みのるが太陽ケアを破り、三冠奪取。
2006 年 9月 9日
【プロレス】
ノアの丸藤正道が秋山を破り、史上最年少26歳でGHCヘビー級王者となる。
2006 年 9月 12日
【プロレス】
プロレス界の統一組織を目指すGPWAが発足。ノアの三沢が初代会長に就任。11月に第1回興行を開催。
2006 年 9月 17日
【プロレス】
全日本の後楽園ホール大会でユニット解散をかけてRO&Dとブードゥー・マーダーズが対決。敗れたRO&Dが解散。
2006 年 9月 25日
【プロレス】
新日本を退団した藤波の新団体「無我ワールド・プロレスリング」旗揚げ興行最終戦。メーンは藤波対西村。
2006 年 11月 2日
【プロレス】
インディーとデスマッチの地位向上を目指すアパッチプロレス軍に天山らが乗り込み。新日本との抗争激化。
2006 年 12月 3日
【プロレス】
上井文彦が“駅長”の「UWAI STATION」が後楽園ホールで“発車”。
2006 年 12月 31日
【プロレス】
「インディーサミット2006 カウントダウン・プロレス」開催。海援隊★DXが10年ぶり、一夜限りの復活。
2007 年 1月 19日
【プロレス】
新日マットを中心に活躍したクラッシャー・バンバン・ビガロが45歳で死去。
2007 年 2月 11日
【プロレス】
健介オフィスが東京・ディファ有明で旗揚げ戦。
2007 年 3月 6日
【プロレス】
主に新日本で活躍したバッド・ニュース・アレンが63歳で死去。
2007 年 3月 7日
【プロレス】
2代目スーパー・タイガーが日高郁人戦でデビューを果たした。
2007 年 3月 15日
【プロレス】
小川がモンスター軍に寝返り高田総統と握手。
2007 年 4月 11日
【プロレス】
チャボ・ゲレロの引退試合が無我で実現。藤波辰爾に逆さ押さえ込みで敗れる。
2007 年 4月 13日
【プロレス】
大阪府立体育館でIWGP王者棚橋弘至と永田裕志が激突。棚橋は5度目の防衛に失敗し、永田が4年ぶりの戴冠。
2007 年 6月 17日
【プロレス】
元巨人のウォーレン・クロマティがハッスルに参戦。タッグでタイガー・ジェット・シンと激突し、勝利した。
2007 年 6月 17日
【プロレス】
ミラノコレクションA・Tがベスト・オブ・スーパー・ジュニア初出場で初優勝の快挙。
2007 年 6月 24日
【プロレス】
かねてから勧誘を受けていた小島聡が、ついにブードゥー・マーダーズ入り。武藤社長に訣別のイス攻撃。
2007 年 6月 29日
【プロレス】
アントニオ猪木の新団体IGFの旗揚げ戦。メーンではカート・アングルがブロック・レスナーを破った。
2007 年 7月 28日
【プロレス】
“プロレスの神様”と呼ばれたカール・ゴッチ氏が、大動脈瘤破裂のため死去。82歳だった。
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~昭和を語ろう! “ポケスポ”第2弾~
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