
1890 年 5月 17日
【野球】
一高―明治学院の試合で、グランドを横切った明治学院の宣教師ウィリアム・インブリーに一高応援団が暴行。
1897 年 10月 31日
【野球】
慶大がハワイ・セントルイス大学を招待して、日本初の有料試合が行われた。
1903 年 11月 21日
【野球】
第1回早慶戦は、慶大が11-9で勝利した。
1904 年 6月 1日
【野球】
早大、慶大が強豪・一高を撃破。早慶時代の幕開け。
1905 年 4月 20日
【野球】
早大野球部の安部磯雄野球部長ら13名が、ロサンゼルスからシアトルまで約2カ月以上のアメリカ遠征を行う。
1906 年 11月 11日
【野球】
1勝1敗のタイとなった早慶戦第3戦だが、双方の応援合戦がヒートアップし、前日急きょ中止となった。
1908 年 11月 22日
【野球】
アメリカ大リーグとマイナーリーグの混成チームが来日。早大、慶大などを相手に17試合行い、全勝した。
1908 年 11月 22日
【野球】
アメリカ選抜対早大の試合で初めて始球式が行われ、大隈重信のボールを早大の一番打者が遠慮して空振り。
1911 年 8月 29日
【野球】
東京朝日新聞が「野球害毒論」を連載、これに対し野球擁護論派の新聞社が現れ、各新聞上で大論争が起こる。
1911 年 10月 29日
【野球】
白瀬矗中尉の南極探検隊への寄付を目的に、稲門倶楽部(早大OB)と三田倶楽部(慶大OB)の試合が行われた。
1913 年 2月 1日
【野球】
フィリピン・マニラで第1回東洋オリンピックが開幕。日本代表の明大がフィリピンを破り、東洋一となる。
1914 年 11月 2日
【野球】
早慶戦中止から8年、早慶に明治を加えたリーグ戦が行われる。これが東京六大学リーグの前身となる。
1915 年 8月 23日
【野球】
第1回全国中等学校優勝野球大会(現・夏の甲子園)が朝日新聞主催で開始され、京都二中(京都)が初代王者に。
1918 年 8月 2日
【野球】
鈴鹿栄氏が安全で安価なゴム製の軟球を考案。これを使った全国規模の少年野球大会が開幕された。
1922 年 11月 19日
【野球】
三田倶楽部とアメリカ大リーグ選抜との試合が、芝浦球場で行われ、三田倶楽部が9-3で勝利した。
1923 年 6月 21日
【野球】
日本初のプロ球団・日本運動協会(協会)と、天勝野球団が、竜山満鉄グラウンド(朝鮮・京城)で対戦。
1923 年 10月 26日
【野球】
秋の東京五大学リーグで明大が初優勝を果たす。
1924 年 4月 1日
【野球】
全国中等学校選抜野球大会(大阪毎日新聞社主催)の第1回大会が、名古屋の山本球場において開幕。
1924 年 8月 1日
【野球】
兵庫県に東洋一の大型スタジアム甲子園球場がオープン。第10回全国中等学校優勝野球大会から使用される。
1925 年 10月 19日
【野球】
応援加熱による中止から19年を経て、早慶戦が復活。混乱もなく、11-0、7-1の大差で早大が勝利。
1926 年 10月 23日
【野球】
明治神宮外苑に野球場完成。東京六大学リーグに、摂政宮より優勝杯を下賜。
1927 年 8月 3日
【野球】
社会人野球の日本一を決める都市対抗戦(東京日日新聞主催)が開幕。全国12都市代表で争われた。
1927 年 8月 13日
【野球】
全国中等学校優勝野球大会で初の野球ラジオ放送。
1929 年 11月 1日
【野球】
天皇陛下は明治神宮球場で行われた明治神宮体育大会を行幸され、早大―慶応の試合を初観戦された。
1930 年 10月 1日
【野球】
早慶戦で入場券を分配されず、締め出された学生がスト、デモ行進。
1930 年 10月 29日
【野球】
六大学リーグ(秋季)で法大が初優勝。
1931 年 5月 18日
【野球】
慶大―明大、八十川胖投手(明大)のフェイントけん制がボークとなった判定に怒り明大生が暴動を起こす。
1931 年 10月 2日
【野球】
六大学リーグ(秋季)で立教が初優勝。
1932 年 3月 28日
【野球】
文部省が本来「教育」であるべき学生野球が、大衆娯楽化してきたことを危惧し、野球統制令を発令。
1932 年 5月 10日
【野球】
早大はリーグ改造を訴えて春のリーグ戦途中で六大学脱退を声明するも、秋季リーグから再び復帰。
1933 年 2月 14日
【野球】
六大学リーグが春一回、秋二回の総当たり1シーズンで開催されることが決定。
1933 年 7月 10日
【野球】
早大の戸塚球場に照明設備が完成。早大の二軍チームと新人チームによる日本初のナイターが行われた。
1933 年 8月 19日
【野球】
中京商が夏の甲子園3連覇達成。
1933 年 8月 19日
【野球】
夏の甲子園の準決勝、中京商(愛知)と明石中(兵庫)の対戦、0-0で延長25回の死闘の末、中京商が勝利。
1933 年 10月 22日
【野球】
早慶戦で、早稲田応援団が投げ込んだリンゴの芯がもとで大乱闘が起こり、水原茂選手(慶大)が退部に。
1934 年 6月 1日
【野球】
元早大の三原修選手が全日本チーム入りし、プロ契約を結んだ。
1934 年 6月 20日
【野球】
ルース選手、ゲーリック選手ら超豪華選手が勢ぞろいした大リーグ選抜を17歳の沢村栄治投手が1失点に抑える。
1934 年 12月 26日
【野球】
大リーグ選抜の16戦全勝により、プロ野球チーム結成の気運が高まり、「大日本東京野球倶楽部」が創立。
1936 年 2月 5日
【野球】
東京で「日本職業野球連盟創立総会」が開催され、東京・名古屋・関西の7球団によるプロ野球連盟が発足。
1936 年 2月 9日
【野球】
巨人が第2回アメリカ遠征を前に、鳴海球場で金鯱と壮行試合。連盟加盟チーム同士の初対戦。
1936 年 4月 29日
【野球】
日本職業野球連盟初の公式戦「第1回日本職業野球連盟試合」の甲子園大会を、巨人欠場の6球団で開催。
1936 年 5月 4日
【野球】
藤井勇選手(タイガース)が、連盟第1号本塁打(ランニング本塁打)。
1936 年 7月 1日
【野球】
巨人がアメリカから帰国し、「全日本職業野球選手権大会」が7球団の変則トーナメントで行われた。
1936 年 9月 25日
【野球】
甲子園球場で行われた巨人―タイガースで、沢村栄治投手(巨人)がプロ初となるノーヒットノーラン達成。
1936 年 12月 11日
【野球】
東京市・洲崎球場で行われた年度優勝決定試合で、巨人がタイガースを4-2で下し初優勝。
1937 年 1月 18日
【野球】
連盟8番目の球団、イーグルスが設立。
1937 年 9月 11日
【野球】
小石川に帝都初2階建てスタンドのある後楽園球場が完成。今後はこの球場が中心となる予定。
1937 年 12月 7日
【野球】
昭和12年は、2シーズン制で、春・巨人、秋・タイガースが優勝。年度別優勝決定戦はタイガースが制す。
1938 年 3月 29日
【野球】
南海が9番目のチームとして連盟入り。
1938 年 11月 17日
【野球】
中島治康選手(巨人)が打率3割6分1厘、本塁打10本の活躍で2位に大差をつけ、初の三冠王に輝いた。
1938 年 12月 2日
【野球】
昭和13年は、2シーズン制で、春・タイガース、秋・巨人が優勝。年度別優勝決勝戦はタイガースが制す。
1939 年 8月 19日
【野球】
第25回夏の甲子園で、海草中(和歌山)の嶋清一投手が、5試合でわずか8安打という偉業を成し遂げる。
1939 年 11月 9日
【野球】
昭和14年は、1シーズン制で、巨人が優勝。
1940 年 1月 31日
【野球】
高峰秀子主演の映画「秀子の応援団長」が封切り。巨人のスタルヒン投手、水原茂選手が特別出演。
1940 年 7月 26日
【野球】
夏季リーグが満洲で開催され、全9球団の選手一行は神戸港から出航。巨人が14勝2敗と勝ち越した。
1940 年 9月 12日
【野球】
スタルヒン投手(巨人)の登録名が、須田博(すたひろし)に変更された。同名での日本国籍取得の申請は不受理。
1941 年 3月 27日
【野球】
春のセンバツ2回戦で、別所昭投手は左腕を骨折しながら続投するもサヨナラ負け。その勇姿に観客が感動。
1942 年 4月 18日
【野球】
後楽園球場で開催予定の阪急―黒鷲、大洋―名古屋が、東京への初空襲によって中止に。
1942 年 5月 24日
【野球】
後楽園球場で行われた大洋―名古屋は、延長28回まで行われ、大リーグ記録26回を上回る記録となった。
1943 年 3月 14日
【野球】
日本野球連盟はユニホームをカーキ色、背番号を廃止すると発表。
1943 年 10月 16日
【野球】
「戦場に行く前にもう一度」との声で、出陣学徒壮行早慶戦が行われた。試合後は「海行かば」の大合唱に。
1943 年 11月 17日
【野球】
巨人が昭和14、15、16、17、18年と5年連続の年度優勝を達成。
1944 年 8月 14日
【野球】
戦局悪化のため、リーグ戦途中で日程打ち切り。阪神が2位巨人に8ゲーム差をつけて優勝。
1944 年 11月 12日
【野球】
日本野球報告会(旧・日本野球連盟)が、「切迫する時局に一時休止」と、プロ野球の一時休止を発表。
1944 年 12月 2日
【野球】
元巨人投手の沢村栄治氏が、東シナ海で戦死(享年27歳)。巨人のエースとしてプロ野球の基礎を築き上げた。
1945 年 11月 23日
【野球】
終戦から3ヵ月、東西抗戦が神宮球場で開催、5877人の観客が駆け付けた。大下弘選手(セネタース)らが活躍。
1946 年 4月 27日
【野球】
プロ野球のペナントレースが開幕。8球団が105試合戦い、2位巨人と1ゲーム差で近鉄が優勝。
1946 年 6月 15日
【野球】
戦後初の早慶戦開催。3000枚のニセ入場券が出回る。
1947 年 5月 26日
【野球】
甲子園球場にラッキーゾーンを設置。
1947 年 8月 3日
【野球】
第18回都市対抗開会式に、天皇陛下が臨席された。
1947 年 10月 26日
【野球】
昭和22年、阪神優勝。
1948 年 8月 17日
【野球】
横浜ゲーリック球場で行われた巨人―中日は、プロ野球初のナイターゲーム。証明が暗く判定を議論する。
1948 年 10月 9日
【野球】
昭和24年、巨人優勝。
1948 年 10月 12日
【野球】
3Aサンフランシスコ・シールズが来日。アメリカ・プロ球団の来日は15年ぶり、戦後初。
1948 年 11月 8日
【野球】
昭和23年、南海優勝。
1949 年 4月 14日
【野球】
三原修監督(巨人)が、巨人選手と口論となった筒井敬三選手(南海)の頭にパンチ。シーズン出場停止処分に。
1949 年 7月 24日
【野球】
元巨人の水原茂氏が抑留されていてシベリアから復員。後楽園球場で「万感の胸に迫ります」と挨拶。
1949 年 11月 26日
【野球】
新規参入の是非を巡り、会議が紛糾。連盟を解体し、セ・リーグとパ・リーグの2リーグ制をスタートさせた。
1950 年 3月 10日
【野球】
川上哲治選手(巨人)が、巨人―中日で、今季12本目の本塁打を放ち、史上初の通算100号本塁打を達成。
1950 年 3月 11日
【野球】
セ・リーグが平和台球場、下関球場で開幕。
1950 年 5月 25日
【野球】
白木義一郎投手(東急)が、74回1/3イニング無四球の日本記録を達成。
1950 年 6月 28日
【野球】
青森球場の巨人―西日本で藤本英雄投手(巨人)が投球数92球での完全試合を達成。プロ野球史上初の快挙。
1950 年 7月 1日
【野球】
六大学選抜チームが戦後初めてハワイに遠征。15勝4敗1分。
1950 年 7月 5日
【野球】
後楽園球場で初めてナイターの公式戦を開催。
1950 年 8月 23日
【野球】
享栄商を2年で中退した金田正一投手が国鉄と契約。初登板は負け投手に。
1950 年 9月 12日
【野球】
大阪球場開場式。
1950 年 10月 24日
【野球】
小鶴誠選手(松竹)が西日本戦で47号本塁打を放ち、シーズン本塁打の新記録達成。51号まで記録を伸ばす。
1950 年 11月 28日
【野球】
「プロ野球日本選手権」の第6戦が行われ、毎日(パ)が8-7で松竹(セ)を下して、4勝2敗で日本一に輝いた。
1951 年 1月 30日
【野球】
パ・リーグの西鉄とセ・リーグの西日本が、「西武ライオンズ」としてパ・リーグに加盟することが決定。
1951 年 2月 25日
【野球】
川上哲治選手(巨人)、藤村富美男選手(阪神)、小鶴誠選手(松竹)、杉下茂投手(名古屋)が、シールズキャンプに参加。
1951 年 6月 19日
【野球】
巨人に移籍してきたウォーリーの愛称で親しまれる与那嶺要選手が、名古屋戦で初出場を果たした。
1951 年 7月 4日
【野球】
第1回オールスターが甲子園球場で5万人の観衆を集めて開催された。試合は全セが2-1で全パを下した。
1951 年 8月 10日
【野球】
中日球場の名古屋―巨人の試合中、木造内野スタンドが全焼。死者3人、負傷者400人の惨事に。
1951 年 8月 12日
【野球】
南海二軍選手による社会人チーム「南海土建」が、都市対抗野球を勝ち進む。決勝で敗れ、準優勝となる。
1951 年 10月 17日
【野球】
プロ野球日本選手権第5戦、巨人が南海を8-2で下して通算4勝1敗、2リーグ制後初の栄冠を手にした。
1951 年 11月 13日
【野球】
大リーグオールスターチームが戦後初来日。第14戦で全パが3-1で勝利。
1951 年 12月 1日
【野球】
プロ野球統一契約書発効。選手の契約期間が2月1日から11月末までとなった。
1952 年 3月 10日
【野球】
長谷川良平投手(広島)が名古屋へ移籍を希望し、自由契約を主張したが、福井盛太コミッショナーは認めず。
1952 年 3月 21日
【野球】
セ・パ両リーグは大リーグに倣って、フランチャイズ(地域保護権)制度の導入、分配制度の廃止を発表。
1952 年 4月 11日
【野球】
大下弘選手(東急)と深見安博選手(西鉄)・緒方俊明選手(西鉄)の1対2の交換トレードが発表された。
1952 年 7月 3日
【野球】
オールスター第1戦で、2-2のまま延長21回で日没引き分けとなり、MVPが選出されなかった。
1952 年 7月 16日
【野球】
試合不成立を狙った西武選手の遅延行為に、毎日ファンが激怒、暴動に発展。湯浅禎夫総監督が辞任。
1952 年 8月 24日
【野球】
この年から全国規模となった全日本大学野球選手権大会は慶大が関学大を5-3で破って、優勝。
1952 年 10月 18日
【野球】
巨人と南海、2年連続で同じ顔合わせとなったプロ野球日本選手権は、巨人が4勝2敗で2年連続日本一に。
1952 年 12月 14日
【野球】
10年選手の特権を定めた野球協約が発効。同一球団に10年在籍した選手の移籍を自由とした。
1953 年 1月 24日
【野球】
勝率が3割を斬った松竹と大洋が合併、新球団「大洋松竹(洋松)ロビンズ」となることが発表された。
1953 年 3月 28日
【野球】
セ・リーグは、アメリカ遠征中の巨人が不在のまま、シーズンが開幕。巨人は4月4日に帰国。
1953 年 4月 26日
【野球】
川上哲治選手(巨人)が、国鉄戦で史上初となる通算1500本塁打を達成した。
1953 年 8月 3日
【野球】
立川基地所属の大リーグ経験者レオ・カイリ―選手が、軍務の合間を縫う「非常勤」選手として毎日と契約。
1953 年 8月 13日
【野球】
NHKが大阪と東京を結ぶマイクロウェーブの上り回線を完成。初の実況放送として夏の甲子園を中継した。
1953 年 8月 29日
【野球】
20歳の怪童、中西太選手(西鉄)が、バックスクリーンを超える推定飛距離152.2mの球場外本塁打を放つ。
1953 年 10月 14日
【野球】
大リーグの単独チームとしては初めて、ニューヨーク・ジャイアンツが来日。14試合を行い、12勝1敗1分。
1953 年 10月 16日
【野球】
3年連続で巨人と南海の対戦となったプロ野球日本選手権は、巨人が4勝2敗1分で勝利。3連覇を達成。
1953 年 12月 14日
【野球】
パ・リーグ理事会は来季から勝率3割5分に満たない球団に5000万円の罰金を課すことを決定した。
1953 年 12月 25日
【野球】
パ・リーグは高橋龍太郎氏をオーナーとする「高橋ユニオンズ」の加盟を承認。これにより8球団体制となる。
1954 年 1月 12日
【野球】
名古屋ドラゴンズが「中日ドラゴンズ」と名称変更。
1954 年 4月 3日
【野球】
福井盛太コミッショナーが任期満了にともない辞任。井上登氏、内村祐之氏、宮沢俊義氏が第三者委員に。
1954 年 7月 7日
【野球】
白石勝已選手兼監督が史上初の1500試合出場を達成した。
1954 年 7月 25日
【野球】
阪神―中日で、阪神の藤村富美男選手が松木謙治郎監督とともに、判定を不服とし主審に暴行、退場となる。
1954 年 11月 7日
【野球】
日本選手権シリーズと名称を変更した頂上決戦は、中日と西鉄が対戦し、中日が4勝3敗で初の日本一に。
1954 年 12月 4日
【野球】
高橋ユニオンズは、トンボ鉛筆と提携して、来季よりトンボユニオンズに。
1954 年 12月 11日
【野球】
洋松ロビンスが大洋の単独経営となり、「大洋ホエールズ」に名称変更。
1954 年 12月 26日
【野球】
第1回アジア野球選手権が開催。日本代表(八幡製鉄)は決勝でフィリピンに1-8で敗れて、準優勝。
1955 年 3月 1日
【野球】
今季から全14球団が東西7球団に分かれ、若手選手を育成する二軍リーグが組織された。
1955 年 4月 12日
【野球】
藤村富美男選手(阪神)が国鉄戦でプロ野球史上初となる通算200号本塁打を記録した。
1955 年 4月 13日
【野球】
高橋をトンボ鉛筆がスポンサードした「トンボユニオンズ」2年目、開幕から12連敗というワースト記録。
1955 年 9月 4日
【野球】
西京極球場で行われたトンボ―大映で、トンボのスタルヒン投手が完投勝利。史上初の通算3000勝を達成。
1955 年 10月 13日
【野球】
トンボは42勝98敗1分、勝率3割となったため、勝率3割5分以下に罰金500万というパ・リーグの規定が通用された。
1955 年 10月 21日
【野球】
今季ア・リーグ優勝のニューヨークヤンキースがベストメンバーで来日。23日間16試合の強行日程で15勝1分。
1955 年 10月 24日
【野球】
日本シリーズは巨人と南海が2年ぶり4度目の対戦。巨人は1勝3敗と南海に王手をかけられたが、3連勝で逆転日本一となる。
1955 年 10月 31日
【野球】
トンボ鉛筆は高橋球団との提携を解消。チーム名は「高橋ユニオンズ」に。
1955 年 12月 4日
【野球】
高橋連がプロ野球と関係した選手はアマチュア資格を失うことを公示。
1956 年 1月 16日
【野球】
コミッショナーにプロ野球第三者委員の井上登氏が就任した。
1956 年 3月 21日
【野球】
セ・パ両リーグが初めて同時開幕。
1956 年 3月 25日
【野球】
樋笠一夫選手(巨人)が、杉下茂投手(中日)から史上初の代打逆転サヨナラ満塁ホームランを放つ。
1956 年 5月 31日
【野球】
川上哲治選手(巨人)が中日球場で行われた中日戦で、史上初の2000本安打を達成。16シーズン目の快挙。
1956 年 6月 24日
【野球】
阪神―広島の9回二死満塁、藤村富美男監督が「代打ワシ」と審判に告げ、逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ。
1956 年 7月 29日
【野球】
飯田徳治選手が1015試合連続出場。日本記録を更新(当時)。
1956 年 10月 8日
【野球】
高橋は最終戦で毎日に勝利、勝率3割5分以下による罰金500万円納入というペナルティーをからくも免れる。
1956 年 10月 17日
【野球】
水原円裕監督率いる巨人と、三原脩監督率いる西鉄の宿命の日本シリーズは、西部が4勝2敗で優勝。
1957 年 10月 1日
【野球】
稲尾和久(西鉄)が後楽園球場の毎日戦で勝利投手となり、シーズン20連勝を達成。日本記録を更新した。
1957 年 11月 3日
【野球】
慶大―立大2回戦で、長嶋茂雄選手が大学通算8号本塁打を放ち、六大学通算本塁打新記録を樹立。
1957 年 11月 28日
【野球】
毎日と大映が合併に合意。株式会社毎日大映球団を設立、チーム名「大毎オリオンズ」とすることが決定。
1958 年 4月 5日
【野球】
長嶋茂雄選手(巨人)は、金田正一投手(国鉄)から4打席連続三振に打ち取られ、ホロ苦いプロデビュー。
1958 年 5月 27日
【野球】
金田正一投手(国鉄)は広島戦で大和田明選手から三振を奪い、藤本英雄投手の連続無失点日本記録を更新。
1958 年 8月 16日
【野球】
夏の甲子園大会、坂東英二投手(徳島商)が、魚津(富山)戦で2日間27回投げ、25奪三振の最多記録を樹立。
1958 年 9月 19日
【野球】
巨人―広島、長嶋茂雄選手(巨人)が一塁ベースを踏み忘れ、ルーキー初の3割30本30盗塁を逃す。
1958 年 10月 2日
【野球】
南海に11ゲーム差をつけられていた西武が、シーズン終盤に13連勝を飾り、3年連続のリーグ優勝。
1958 年 10月 21日
【野球】
3年連続となる西鉄と巨人の日本シリーズは、西鉄が3連敗後に4連勝する大逆転で巨人を下し、3連覇となる。
1958 年 10月 21日
【野球】
川上哲治選手(巨人)が現役引退を表明。現役18年間の通算成績は2351安打、181本塁打、打率3割1分3厘。
1959 年 2月 28日
【野球】
加藤久幸監督を解任した近鉄は、元巨人コーチ・二軍監督の千葉茂氏を監督にし「バッファロー」に改名。
1959 年 2月 28日
【野球】
近鉄-巨人のオープン戦で千葉茂の引退試合が行われる(プロ野球初)
1959 年 5月 1日
【野球】
野球体育博物館(通称・野球殿堂)の表彰者として沢村栄治氏ら9名が選出された。6月12日に開館。
1959 年 6月 25日
【野球】
後楽園球場で行われた初の天覧試合は、長嶋茂雄選手(巨人)がサヨナラ本塁打で巨人が5-4で阪神を下す。
1959 年 10月 29日
【野球】
鶴岡一人監督率いる南海が、杉浦忠投手の4連投4連勝で巨人を下し、出場5度目にして初の日本一に。
1960 年 4月 29日
【野球】
別所毅彦投手(巨人)は、後楽園球場の阪神戦で2回途中から2番手で登板し勝利、プロ入り通算302勝をあげる。
1960 年 6月 11日
【野球】
巨人はカラーテレビ中継用に、帽子のつば、胸のロゴ、背番号を赤にした新ユニホームをお披露目に。
1960 年 7月 19日
【野球】
東映―大毎の二死満塁で、捕手が後逸したのに、東映の選手がベンチに引き上げ、全走者が生還してしまう。
1960 年 9月 21日
【野球】
金田正一投手(国鉄)が、広島戦で史上初の3000奪三振を記録。
1960 年 10月 15日
【野球】
6年連続最下位だった大洋が、三原脩監督就任1年目にして、大毎と日本シリーズを争い、4連勝で日本一に。
1960 年 11月 12日
【野球】
東京六大学の早慶戦は、2勝1敗で早大が21年ぶりに優勝決定戦へ。2試合連続引き分けの末、早大が優勝。
1961 年 4月 27日
【野球】
南海―近鉄は濃霧による視界不良で中堅にも審判を置き、審判7人制で実施。
1961 年 5月 13日
【野球】
柳川福三選手(日本生命)を中日が引き抜いた「柳川事件」が発端で、社会人野球とプロ野球の関係が悪化。
1961 年 9月 7日
【野球】
巨人―国鉄は土屋正孝選手(国鉄)の走塁を巡る抗議で試合が1時間52分中断。史上初の2日間試合に。
1961 年 10月 8日
【野球】
権藤博投手(中日)が、広島戦で、新人のシーズン最多勝利記録35勝を達成。新人王にも選出される。
1961 年 10月 11日
【野球】
稲尾和久投手(西武)が、阪急戦で勝利投手となり、昭和14年のスタルヒン投手と並ぶシーズン42勝を記録。
1961 年 10月 17日
【野球】
近鉄は36勝103敗1分、勝率2割6分1厘、1位の南海とゲーム差51.5とダントツの最下位。史上最低記録を更新。
1961 年 10月 29日
【野球】
巨人―南海、日本シリーズ第4戦9回裏、スタンカ(南海)がボール判定に激怒。その後逆転適時打を打たれる。
1961 年 11月 1日
【野球】
日本シリーズ戦、杉浦忠投手を故障で欠く南海を、巨人が4勝2敗で下し、川上哲治監督就任1年目で日本一に。
1962 年 4月 29日
【野球】
浪商を2年で中退、17歳でプロ入りした東映の尾崎行雄投手が、8者連続三振の快投を演じた。
1962 年 5月 1日
【野球】
1月退任の井上登コミッショナーの後継に、精神医学者の内村祐之氏が就任。
1962 年 5月 24日
【野球】
足立光宏投手(阪急)が1試合17奪三振のプロ野球新記録(当時)を達成。
1962 年 6月 2日
【野球】
東京スタジアムが開場。試合前にパ6球団の選手が参加し、開場式を開催。
1962 年 7月 1日
【野球】
フォーム改造に取り組んでいた王貞治選手(巨人)が大洋戦で一本足打法を初披露、5打数3安打と効果を発揮。
1962 年 8月 19日
【野球】
春のセンバツを制した作新学院(栃木)が、夏の甲子園決勝で久留米商を下し、優勝。初の春夏連覇となる。
1962 年 8月 29日
【野球】
稲尾和久投手(西鉄)が阪急戦に勝利して、月間11勝の日本記録。
1962 年 9月 4日
【野球】
金田正一投手(国鉄)が、大リーグ、ジョンソン投手の記録を越える、通算3509奪三振の世界記録を樹立。
1962 年 9月 30日
【野球】
野村克也選手(南海)が、近鉄戦でパ記録となる44号本塁打を放つ。
1962 年 10月 3日
【野球】
阪神が広島を6-0で破り、2リーグ制後の初優勝を決めた。阪神の優勝は昭和22年以来、15年ぶり。
1962 年 10月 21日
【野球】
日本シリーズは、東映が阪神を下し初優勝。MVPは初めて、土橋正幸投手・種茂雅之選手の2人が選ばれた。
1963 年 6月 30日
【野球】
金田正一選手(国鉄)が広島戦で通算311勝目を挙げ、通算最多勝利記録更新。
1963 年 8月 14日
【野球】
阪神は近鉄戦で1回に5者連続安打を放つもスリーアウト。無得点の珍記録となる。
1963 年 8月 21日
【野球】
ミケンズ投手(近鉄)が南海戦で1球を投げただけで勝利投手となった。史上初めてのケースとなる。
1963 年 10月 17日
【野球】
野村克也選手(南海)が、近鉄戦で52号本塁打を放ち、昭和25年の小鶴誠選手の記録を上回る日本記録を達成。
1963 年 10月 20日
【野球】
西鉄が南海との最大14ゲーム差を引っくり返して逆転優勝
1963 年 10月 20日
【野球】
南海と14.5ゲーム差あった西鉄が、18連勝。最終戦、近鉄のダブルヘッダーに連勝し、150試合目で優勝。
1963 年 11月 4日
【野球】
日本シリーズは巨人が4勝3敗で西武を下し、日本一となる。巨人は4度目の対戦で初めて西鉄に勝利。
1963 年 12月 20日
【野球】
小山正明投手(阪神)と山内一弘選手(大毎)のトレードが決まり、4番とエースの「世紀のトレード」となる。
1964 年 3月 14日
【野球】
東京五輪の開幕前にシーズンを終了させるため、両リーグとも史上最も早いシーズン開幕となった。
1964 年 5月 2日
【野球】
山内一弘選手(阪神)が巨人戦で通算266号本塁打を放ち、通産本塁打日本記録を更新した。
1964 年 5月 5日
【野球】
広島は、王貞治選手(巨人)の打球が右よりになるため、王選手の打席で守備体形を変更。無安打に打ち取る。
1964 年 6月 30日
【野球】
広島市民球場の広島―阪神で、審判の判定訂正に広島が抗議。2時間30分の中断、試合中止にファンが暴徒化。
1964 年 7月 16日
【野球】
金田正一投手(国鉄)が、大洋戦で世界初の通算4000奪三振を記録。
1964 年 9月 4日
【野球】
サンフランシスコジャイアンツの村上雅則投手(南海)が、メッツ戦で登板。日本人初の大リーグデビュー。
1964 年 9月 23日
【野球】
シーズン最多本塁打の日本記録を更新中の王貞治選手(巨人)は、今季最終戦で55本まで記録を伸ばす。
1964 年 10月 1日
【野球】
阪神と南海の対決となった日本シリーズは、第7戦に3-0に勝利した南海が、通算4勝3敗で日本一となった。
1964 年 12月 23日
【野球】
金田正一投手がB級10年選手制度で巨人に移籍することを発表。昭和34年にA級10年選手制度を行使している。
1965 年 4月 23日
【野球】
国鉄が経営権をサンケイ新聞とフジテレビに譲渡。「サンケイスワローズ」に。
1965 年 6月 11日
【野球】
鶴岡一人監督率(南海)が、東映戦で勝利、監督通算1500勝を達成した。
1965 年 8月 18日
【野球】
内村裕典氏が辞任(4月30日)して空席だったコミッショナーに、新たにコミッショナー委員会を設置。
1965 年 8月 22日
【野球】
夏の甲子園決勝、三池工(福岡)が初出場、初優勝。三池争議や不況に悩んでいた大牟田市を励ました。
1965 年 10月 5日
【野球】
野村克也選手(南海)と本塁打王を争うスペンサー選手(阪急)が、交通事故で右足を骨折、全治2カ月の重傷。
1965 年 10月 14日
【野球】
セ・リーグは2位中日が大洋に敗れたため、2年ぶりの優勝。今季の巨人は富田征典投手が活躍した。
1965 年 10月 24日
【野球】
野村克也選手(南海)が打率・本塁打・打点の3タイトルを独占、戦後史上2人目の三冠王となる。
1965 年 11月 5日
【野球】
巨人―南海の日本シリーズで、王貞治選手3本塁打、長嶋茂雄選手2本塁打と、ONの活躍で巨人2年ぶりの優勝。
1965 年 11月 17日
【野球】
高騰する新人選手の契約金の抑制と、各球団の戦力均衡を目的として、第1回新人選手選択会議が行われた。
1965 年 11月 20日
【野球】
南海に就任したばかりの蔭山和夫新監督が、急性副腎皮質機能不全で急死。鶴岡一人前監督が復帰。
1966 年 5月 10日
【野球】
サンケイ戦で広野功選手(中日)が、ルーキー初の逆転サヨナラ満塁本塁打を放つ。
1966 年 5月 12日
【野球】
佐々木吉郎投手(大洋)が史上8度目の完全試合を達成した11日後、田中勉投手(西鉄)も完全試合を達成する。
1966 年 7月 25日
【野球】
ドラフト1位ルーキー堀内恒夫投手(巨人)が、開幕、阪神戦から13連勝の連勝新記録を達成。
1966 年 8月 24日
【野球】
夏の甲子園決勝戦は、中京商(愛知)と松山商(愛媛)の名門が激突。3-1で中京商が勝利、春夏連覇を果たす。
1966 年 9月 23日
【野球】
巨人は後楽園球場で行われた阪神とのダブルヘッダー初戦に4-0で勝利して、セ・リーグ2連覇を決めた。
1966 年 10月 4日
【野球】
西鉄―東京で稲尾和久投手(西鉄)は75球、小山正名投手(東京)は87球で完投。合計162球の最少投球数記録。
1966 年 10月 19日
【野球】
日本シリーズは巨人と南海が2年連続で対戦。巨人は柴田勲選手の活躍で4勝2敗で勝利。2年連続日本一に。
1967 年 3月 12日
【野球】
巨人の長嶋茂雄選手と王貞治選手が、ドジャースの一員としてブレーブス戦(オープン戦)に出場。
1967 年 9月 23日
【野球】
甲子園球場の阪神―大洋で、阪神が試合放棄。没収試合となり、大洋が勝利。
1967 年 10月 1日
【野球】
パ・リーグは2位南海と3位西鉄のダブルヘッダーが1勝1敗となり、西本幸雄監督率いる阪急の優勝が決定。
1967 年 10月 7日
【野球】
巨人はONや投手陣の活躍があり、5月に13連勝・7月に11連勝など首位を独走、セ・リーグ3連覇を決めた。
1967 年 10月 10日
【野球】
堀内恒夫投手(巨人)が後楽園球場で行われた広島戦で、3本塁打を放ち、ノーヒットノーランを達成した。
1967 年 10月 14日
【野球】
山内一弘選手(阪神)がサンケイ戦で、通算2000本安打を達成。川上哲治選手に続いて史上2人目。
1967 年 10月 28日
【野球】
日本シリーズは巨人と阪急が初顔合わせ。4勝2敗で巨人が3年連続日本一を達成した。
1967 年 10月 30日
【野球】
セ・リーグの新人王は、江藤豊(阪神)が好成績ながら落選。打率リーグ6位の武上四郎選手(サンケイ)が受賞。
1967 年 12月 17日
【野球】
広島は臨時株主総会を開き、オーナーに松田恒次東洋工業社長が就任。球団名を「広島東洋カープ」と改名。
1968 年 6月 23日
【野球】
金田正一投手(巨人)が広島戦で通算907試合登板を達成。ヤング投手の持つ大リーグ記録を更新。
1968 年 6月 26日
【野球】
山内一弘選手(広島)が、大洋戦で通算1980試合出場の日本記録を達成。
1968 年 7月 12日
【野球】
野村克也選手(南海)が東京戦で、史上初の通算400号本塁打を達成。
1968 年 7月 21日
【野球】
榎本喜八選手(東京)は、近鉄戦の1回に史上3人目のプロ通算2000本安打を、最速記録で達成。
1968 年 9月 17日
【野球】
江夏豊投手(阪神)が、シーズン354個目の三振日本記録を更新。今季終了まで記録を401個に伸ばし世界記録に。
1968 年 9月 18日
【野球】
バッキー投手(阪神)が王貞治選手(巨人)に、2球連続で悪送球。荒川博コーチ(巨人)を含めた大乱闘に発展。
1968 年 9月 21日
【野球】
東京六大学、法大―早大で、田淵幸一選手(法大)は大学通算22号本塁打を放ち、連盟から特別賞が贈られた。
1968 年 10月 20日
【野球】
日本シリーズは巨人と阪急が2年連続で対戦。4勝2敗で巨人V4達成。
1969 年 1月 18日
【野球】
東京と製菓会社のロッテが業務提携。「ロッテオリオンズ」となる。
1969 年 4月 8日
【野球】
球団株の一部をヤクルトに売却したサンケイは、名称が「アトムズ」となる。
1969 年 4月 13日
【野球】
ロッテの「代走専門」として入団した日本記録保持者の飯島秀雄選手が、南海戦の9回に代走として初登場。
1969 年 5月 27日
【野球】
阪神はアトムズ戦の6回に、13得点を挙げて、1イニング最多得点のプロ野球記録を更新した。
1969 年 6月 15日
【野球】
巨人―中日の3回、小川健太郎選手(中日)が、王貞治選手(巨人)に対して、突然の「背面投げ」を行う。
1969 年 8月 18日
【野球】
夏の甲子園決勝は、松山商(愛媛)と太田幸司投手を擁する三沢(青森)が延長18回再試合の末、松山商が勝利。
1969 年 10月 5日
【野球】
東京六大学で山中正竹投手が東大戦に勝ち、六大学通算46勝の新記録。その後、48勝まで伸ばす。
1969 年 10月 8日
【野球】
西鉄は、八百長行為に関与したとされる、行方不明の永易将之投手を今季限りで解雇、永久追放とした。
1969 年 10月 9日
【野球】
巨人を創設し日本のプロ野球リーグ発足へと導いた正力松太郎氏が、冠不全のため死去。享年84歳。
1969 年 10月 10日
【野球】
金田正一投手(巨人)が、中日戦で今季5勝目を挙げて、プロ入り通算400勝を達成(2007年8月現在も日本記録)。
1969 年 10月 30日
【野球】
巨人―阪神の日本シリーズ第4戦、捕手の岡村浩二選手(阪神)が岡田球審に対し猛抗議、退場処分となる。
1969 年 11月 2日
【野球】
巨人と阪急の日本シリーズは4勝2敗で巨人が日本一、V5を達成。
1969 年 11月 4日
【野球】
多くの新人が活躍するなか、今季の新人王はセが田淵幸一選手(阪神)、パが有藤通世選手(ロッテ)に決定。
1969 年 11月 30日
【野球】
金田正一投手(巨人)が引退を表明。
1970 年 1月 7日
【野球】
アトムズはヤクルトの単独経営となり、「ヤクルトアトムズ」に変更された。
1970 年 5月 25日
【野球】
八百長疑惑「黒い霧」事件を調査しているコミッショナー委員会は、池永正明投手ら西鉄6選手の処分を発表。
1970 年 6月 2日
【野球】
オートレースの八百長で逮捕された小川健太郎投手(中日)に対し、コミッショナー委員会は永久追放処分。
1970 年 7月 30日
【野球】
森安敏明投手(東映)が、八百長行為に参加していたとして、コミッショナー委員会は永久追放処分を決定。
1970 年 7月 31日
【野球】
広瀬叔功選手(南海)が近鉄戦で、通算479盗塁の日本記録を達成。
1970 年 10月 7日
【野球】
ロッテが西鉄戦に勝ち、10年ぶり3度目のリーグ優勝を決め、永田雅一オーナーが胴上げされた。
1970 年 10月 26日
【野球】
今季から兼任監督となった阪神の村山実投手が、2リーグ制後初の防御率0.98で最優秀防御率を獲得。
1970 年 11月 2日
【野球】
巨人とロッテの日本シリーズは、巨人が4勝1敗で日本一、6連覇を決めた。
1970 年 12月 4日
【野球】
血行障害に苦しんでいた杉浦忠投手(南海)が現役引退を表明。
1970 年 12月 26日
【野球】
ドラフとで大洋に1位指名され入団した荒川堯選手(大洋)が、わずか2カ月でヤクルトへの金銭トレードが成立。
1971 年 1月 22日
【野球】
永田雅一オーナー(ロッテ)は、球団経営から撤退を発表。球団はロッテの単独経営となる。
1971 年 2月 3日
【野球】
元早大総長の法学者・大浜信泉氏がコミッショナーに就任した。
1971 年 5月 3日
【野球】
ロッテ―東映、10回二死満塁から、5者連続本塁打の世界記録を達成。東映は一挙8点を奪い、14-8で勝利。
1971 年 5月 5日
【野球】
広瀬叔功選手(南海)は西鉄戦で、史上初の通算500盗塁を達成した。
1971 年 5月 25日
【野球】
ヤクルト戦8回、長嶋茂雄選手(巨人)は史上5人目、大学出身選手としては初のプロ通算2000本安打を達成。
1971 年 7月 2日
【野球】
野村克也選手(南海)は西鉄戦で、史上初の通算500本塁打を達成した。
1971 年 7月 6日
【野球】
長池徳二選手(阪急)が5月28日から32試合連続安打の新記録を達成。
1971 年 7月 17日
【野球】
オールスター第1戦、全セ先発の江夏豊投手(阪神)が、史上初の9連続奪三振、先制3ランも放ちMVPを獲得。
1971 年 10月 9日
【野球】
江藤慎一選手(ロッテ)が、打率3割3分7厘で首位打者を獲得。ロッテは、江藤の大洋へのトレードを発表。
1971 年 10月 17日
【野球】
阪急―巨人の日本シリーズは、6-1で巨人が勝利、4勝1敗でV7を達成。MVPは7打点を挙げた末次民生選手。
1971 年 11月 19日
【野球】
黒い霧事件に揺れる西鉄はドラフト会議で1~3位指名の選手から入団拒否。
1972 年 4月 29日
【野球】
外木場義郎投手(広島)が、沢村栄治投手(巨人)と並ぶ通算3度目のノーヒットノーランを記録。
1972 年 8月 24日
【野球】
中日球場の中日―巨人で三塁側スタンドに爆弾を仕掛けたとの電話があり、選手が避難、一時中断された。
1972 年 8月 25日
【野球】
セ・リーグ理事会は爆弾事件で試合が中止になった場合に、サスペンデッドゲームを採用すると決定。
1972 年 9月 11日
【野球】
王貞治選手(巨人)は自身を含め4人が保持していた記録を更新、7試合連続本塁打の日本記録(当時)を達成。
1972 年 9月 26日
【野球】
福本豊選手(阪急)が、南海戦で今季105個目の盗塁を成功。大リーグ選手が持つ世界記録(当時)を更新した。
1972 年 10月 27日
【野球】
西鉄は球団を中村長芳氏に譲渡、中村氏は福岡野球株式会社を設立し「太平洋クラブライオンズ」と改名。
1972 年 10月 28日
【野球】
通算5度目の巨人と阪急の日本シリーズ。巨人は福本豊選手(阪神)を1盗塁のみに封じ、4勝1敗で8連覇。
1973 年 2月 7日
【野球】
東映が球団の経営権を日拓ホーム株式会社に譲渡して「日拓ホームフライヤーズ」となる。
1973 年 8月 3日
【野球】
野村克也選手(南海)が太平洋戦で、通算安打2352本を達成。川上哲治選手(巨人)を抜き、歴代トップとなる。
1973 年 8月 8日
【野球】
夏の甲子園センバツで、作新学院(栃木)の江川卓投手が圧倒的な強さを見せるが、甲子園2回戦で惜しくも敗退。
1973 年 8月 30日
【野球】
阪神―中日で、江夏豊投手(阪神)がサヨナラ本塁打を放ち、ノーヒットノーランを達成する快挙。
1973 年 9月 9日
【野球】
安田猛投手(ヤクルト)が、阪神戦で連続イニング無四死球81回の日本記録をマーク。23年ぶりの記録更新。
1973 年 10月 22日
【野球】
大混戦のセ・リーグで、勝てば優勝という一戦を巨人が9-0で阪神を下し、阪神ファンが暴徒化した。
1973 年 10月 24日
【野球】
前後期2シーズン制が導入され、前期優勝の南海と後期優勝の阪急でプレーオフが行われ、南海が2-1で勝利。
1973 年 10月 24日
【野球】
王貞治選手(巨人)が、打率・本塁打・打点の各部門で首位に立ち、野村克也選手(南海)以来2人目の三冠王に。
1973 年 11月 1日
【野球】
7年ぶりの巨人、南海の名門対決は、巨人が5-1で南海を下し、4勝1敗で日本一に。9連覇の偉業を達成。
1973 年 11月 19日
【野球】
日拓の全株式を株式会社日本ハムに譲渡することが承認され、「日本ハムファイターズ」と改名した。
1973 年 12月 21日
【野球】
プロ野球実行委員会はロッテのフランチャイズを、暫定的に東京都から宮城県に移転することを承認。
1974 年 1月 10日
【野球】
今季から両リーグでセーブ規制を採用することが決定。最多セーブ投手を表彰することも2月に決定した。
1974 年 4月 27日
【野球】
川崎球場のロッテ―太平洋で、捕手が選手に足をかけたことから監督も巻き込む大乱闘となった。
1974 年 5月 23日
【野球】
対太平洋戦で、金田正一監督(ロッテ)がファンと騒動に。試合後、ロッテナインが球場から装甲車で脱出。
1974 年 7月 9日
【野球】
平松政次投手(大洋)のシュートが打者に当たるが、ストライクの判定。猛抗議した川上哲治監督(巨人)が退場。
1974 年 7月 21日
【野球】
オールスター第1戦で、全パ代打の高井保弘選手(阪急)が逆転サヨナラ2ラン。代打サヨナラ本塁打は球宴初。
1974 年 8月 9日
【野球】
夏の甲子園開幕。この大会から金属バット導入。東京が東西2代表制に。
1974 年 9月 29日
【野球】
高橋博士選手(日本ハム)は南海戦でプロ野球史上初めて、1試合で全ポジションを守る。
1974 年 10月 12日
【野球】
中日―大洋、星野仙一投手が完投勝利。6-1で大洋を下し、巨人V10を阻止し、20年ぶりのリーグ優勝を果たす。
1974 年 10月 14日
【野球】
長嶋茂雄選手(巨人)の引退試合が行われ「わが巨人軍は永久に不滅です」と17年間の選手生活に別れを告げた。
1974 年 10月 15日
【野球】
王貞治選手(巨人)が、打率3割3分2厘、49本塁打、107打点で史上初となる2年連続の三冠王を獲得。
1974 年 10月 23日
【野球】
中日―ロッテの日本シリーズは、就任2年目の金田正一監督が率いるロッテが、4勝2敗で24年ぶりの日本一。
1974 年 11月 2日
【野球】
日米本塁打王対決が行われ、王貞治選手が最多本塁打記録を持つアーロン選手(ブレーブス)に10-9で敗れた。
1974 年 11月 21日
【野球】
巨人は川上哲治監督の後任に、来季から長島茂雄監督の就任を発表。現役時代の背番号3は永久欠番となる。
1975 年 1月 20日
【野球】
パ・リーグ理事会で、今季から導入される指名打者(DH)制度の詳細が決定。アメリカン・リーグ方式を採用。
1975 年 3月 23日
【野球】
川上哲治巨人前監督の引退試合が、後楽園球場の巨人―阪神で行われた。
1975 年 4月 6日
【野球】
東海大相撲(神奈川)センバツ準優勝。原貢監督、辰徳選手の親子鷹が話題に。
1975 年 4月 28日
【野球】
荒川堯選手は左目の視力低下を理由に現役引退。大洋入団を拒否していた際、暴漢に襲われ視力が低下した。
1975 年 4月 30日
【野球】
ルーツ監督(広島)が、開幕から1カ月足らずで辞任。「(27日の阪神戦で)監督権限を侵された」と不満を表明。
1975 年 5月 13日
【野球】
今紀で39歳の野村克也監督兼選手(南海)が、後楽園球場でのロッテ戦で史上初の通算2500本安打を達成。
1975 年 7月 19日
【野球】
オールスター第1戦、大活躍の山本幸二選手(広島)と衣笠祥雄選手(広島)が、2打席連続アベック本塁打を放つ。
1975 年 9月 10日
【野球】
広島市民球場の広島―中日で、両チームが小競り合い。観客が乱入し、中日選手が負傷、翌日の試合も中止。
1975 年 10月 15日
【野球】
優勝まであと1勝に迫っていた広島は、巨人戦に4-0で快勝。球団創設26年目にして、リーグ初制覇を遂げた。
1975 年 10月 21日
【野球】
長嶋茂雄新監督率いる巨人が、47勝76敗7分で球団創設以来初の最下位に。全球団に負け越した。
1975 年 10月 30日
【野球】
広島―阪急の日本シリーズ第4戦は4-4の引き分け。試合時間は4時間49分で、シリーズ新記録となる。
1975 年 11月 2日
【野球】
広島と阪急の初対決となった日本シリーズは、阪急が4勝2分でシリーズ6度目の挑戦にして、初の日本一に。
1976 年 2月 13日
【野球】
大浜信泉コミッショナーが肺炎と悪性リンパ腫のため死去。
1976 年 3月 13日
【野球】
プロ野球のメッカ・後楽園球場が日本で初めて人工芝化され、日本ハム―中日のオープン戦で初使用された。
1976 年 4月 29日
【野球】
行沢久隆選手(日本ハム)は、初安打となる満塁本塁打を放つが、走者を追い越し、記録上は3打点の単打に。
1976 年 7月 16日
【野球】
プロ野球コミッショナーに元プロ野球コミッショナー委員、富士銀行顧問の金子鋭氏が就任。
1976 年 7月 23日
【野球】
王貞治選手(巨人)が大洋戦で通算700号本塁打を達成した。
1976 年 9月 30日
【野球】
阪急が南海戦に5-2で勝利、後期優勝を決め、2シーズン制導入後初の前後期ともに制覇する完全優勝を果たす。
1976 年 10月 11日
【野球】
王貞治選手(巨人)が阪神戦で通算715本目の本塁打を放ち、ベーブ・ルース選手(ヤンキース)を抜き世界2位に。
1976 年 10月 12日
【野球】
太平洋のスポンサーが変更となり、新チーム名を「クラウンライターライオンズ」とすることを発表。
1976 年 10月 16日
【野球】
長島茂雄監督率いる巨人は、広島市民球場での広島戦に5-3で勝利。前年の最下位から一転、リーグ優勝へ。
1976 年 10月 19日
【野球】
谷沢健一選手(中日)が、張本勲選手(巨人)を僅差で下し、初タイトルとなる首位打者を獲得。
1976 年 11月 2日
【野球】
4年ぶりの対戦となった阪急―巨人の日本シリーズは、第7戦4-2で阪急が勝利、2連覇を決めた。
1977 年 7月 6日
【野球】
福本豊選手(阪急)が、通算597盗塁の日本記録を達成。
1977 年 7月 31日
【野球】
米田哲也投手(近鉄)が、945試合登板の日本記録を樹立。10月7日には史上2人目となる生涯通算350勝を達成。
1977 年 8月 1日
【野球】
フェンス激突事件を受け「生命に関わるケガの場合、プレー中も審判がタイムを宣言できる」との条文追加。
1977 年 8月 20日
【野球】
夏の甲子園で東邦(愛知)が準優勝。1年生エース・坂本佳一投手が「バンビ」の愛称で人気に。
1977 年 8月 20日
【野球】
大洋が来季から新球場・横浜スタジアムを本拠地とすることを発表。
1977 年 9月 3日
【野球】
王貞治選手(巨人)は、アーロン氏(元ブリュワーズ)を上回る通算本塁打756本の世界新記録を達成。
1977 年 9月 5日
【野球】
本塁打の世界新記録を樹立した王貞治選手(巨人)に初の国民栄誉賞が贈られ、福田赳夫首相から表彰された。
1977 年 9月 28日
【野球】
南海が、野村克也監督を「公私混同」を理由に解任。野球に口出しをする沙知代さん(妻)が要因とされる。
1977 年 10月 27日
【野球】
日本シリーズは4勝1敗で阪急が巨人を降し、パリーグ・タイ記録の3年連続日本一。
1977 年 12月 24日
【野球】
ロッテが本拠地を川崎球場に移転。
1978 年 3月 30日
【野球】
センバツで前橋(群馬)の松本稔投手が、春夏通じて史上初の完全試合を達成。
1978 年 4月 26日
【野球】
ギャレット選手(広島)が阪神戦で月間15本塁打の日本タイ記録に並ぶ。
1978 年 6月 14日
【野球】
王貞治選手(巨人)が通算1949打点、張本勲選手(巨人)が通算2828安打をともに阪神戦で記録、日本記録に。
1978 年 7月 14日
【野球】
オールスターのファン投票でパ・リーグは日本ハムから8選手が選出されるが、組織票のため2人が辞退。
1978 年 8月 7日
【野球】
夏の甲子園が開幕。1府県1代表制(東京、北海道は各2校)となった。
1978 年 10月 12日
【野球】
プロ野球実行委員会はクラウンの経営権を「西武ライオンズ」に委譲し、埼玉県への本拠地移転を承認した。
1978 年 10月 22日
【野球】
ヤクルト―阪急の日本シリーズ第7戦、大杉勝男選手(ヤクルト)の打球の判定を巡り、1時間19分の試合中断。
1978 年 10月 22日
【野球】
セ・リーグ初優勝を果たしたヤクルトが、日本シリーズV4を目指す阪急を4-0で降し、4勝3敗で日本一に。
1978 年 11月 15日
【野球】
田淵幸一選手(阪神)が、真夜中に西武へのトレード通告を受ける。保留するも、23日に涙ながらに了承した。
1978 年 11月 21日
【野球】
江川卓投手(作新学院職員)がドラフト前日に巨人と契約するが、セ・リーグ会長が却下(空白の1日事件)。
1978 年 11月 22日
【野球】
ドラフト会議は、江川卓投手との契約を拒否された巨人がボイコット、抽選で阪神が江川との交渉権を獲得。
1978 年 12月 21日
【野球】
金子鋭コミッショナーは、巨人と江川卓投手との契約受理を却下するが、巨人へのトレードを強く要望した。
1979 年 1月 31日
【野球】
江川卓投手は阪神と契約するも、金子鋭コミッショナーの意向に沿い、小林繁投手(巨人)と電撃トレード。
1979 年 2月 8日
【野球】
プロ野球実行委員会は巨人に強行入団した江川卓投手の選手登録を開幕まで認めないことを決定。
1979 年 3月 16日
【野球】
金子鋭コミッショナーが江川問題での混乱の責任を取り辞任。後任に元駐米大使の下田武三氏が内定。
1979 年 4月 14日
【野球】
西武球場が西武―日本ハムで開場。福田赳夫前総理が始球式を行った。
1979 年 4月 22日
【野球】
今季から西武球場に本拠地を構えた西武は、ロッテ戦に敗れ、2分を挟み開幕から12連敗。
1979 年 5月 18日
【野球】
一軍登録を自粛している江川卓投手(巨人)が、二軍の日本ハム戦に登板。江川見たさに5万人が集まった。
1979 年 6月 2日
【野球】
一軍登録自粛期間を終えた江川卓投手(巨人)は、阪神戦で初登板。被本塁打3、5失点の黒星デビューとなる。
1979 年 7月 21日
【野球】
オールスターゲームでは、2リーグ制30周年を記念して、両チームが3本ライン入りの特別仕様の帽子を着用。
1979 年 7月 31日
【野球】
高橋慶彦選手(広島)、新浦寿夫投手(巨人)から安打を放ち、33試合連続安打の日本新記録を達成。
1979 年 8月 16日
【野球】
夏の甲子園3回戦、星陵(石川)―箕島(和歌山)は延長18回の大熱戦。勝った箕島は今大会優勝し、春夏連覇。
1979 年 9月 5日
【野球】
江川卓投手(巨人)の交換要員として阪神入りした小林繁投手は、巨人に8連勝。この年22勝、沢村賞に輝く。
1979 年 9月 5日
【野球】
江夏豊投手(広島)が7試合連続セーブのプロ野球記録を達成した。
1979 年 10月 16日
【野球】
パ・リーグプレーオフ第3戦、前期優勝の近鉄が後期優勝の阪急を降し、球団創設30年目、初のリーグ優勝。
1979 年 11月 4日
【野球】
広島―近鉄の日本シリーズ、1点差9回無死満塁のピンチを江夏豊投手が切り抜け、4勝3敗で初優勝を果たす。
1980 年 1月 18日
【野球】
青田昇コーチ(巨人)と暴力団の交際が表面化。野球活動禁止処分となるが、報道が収まらず辞任となる。
1980 年 5月 28日
【野球】
川崎球場で行われたロッテ―阪急で、張本勲選手(ロッテ)が、プロ野球史上初の通算3000本安打を達成した。
1980 年 6月 12日
【野球】
王貞治選手(巨人)が、広島戦で通算850本塁打を達成した。
1980 年 7月 8日
【野球】
ルーキーの?ドカベン〟香川伸行選手(南海)が、近鉄戦で途中出場し、初打席初本塁打でデビューを飾った。
1980 年 8月 4日
【野球】
衣笠祥雄選手(広島)が1247試合連続出場のプロ野球記録を達成した。
1980 年 8月 22日
【野球】
夏の甲子園決勝で、愛甲猛投手の横浜(神奈川)が、荒木大輔投手の早実(東東京)を6-4で降して優勝した。
1980 年 10月 21日
【野球】
巨人は長島茂雄監督の辞任と藤田元司氏の監督就任を発表。長島監督は事実上の解任となった。
1980 年 11月 2日
【野球】
2年連続で広島と近鉄の対戦となった日本シリーズで広島が第7戦を8-3で逆転勝ち、2年連続で日本一となる。
1980 年 11月 4日
【野球】
王貞治選手(巨人)が打率低迷を理由に引退を表明。19年連続の30本塁打で世界記録を868本塁打まで伸ばした。
1980 年 11月 4日
【野球】
木田勇投手(日本ハム)が、3度の毎回奪三振を記録するなど活躍し、最優秀選手賞と新人王をダブル受賞した。
1980 年 11月 15日
【野球】
野村克也選手(西武)が引退を表明。27年間の現役生活で3017試合に出場、657本塁打を放った。
1981 年 2月 8日
【野球】
巨人・阪神などで指揮を取った藤本定義元監督が死去。享年76歳。
1981 年 7月 12日
【野球】
門田博光選手(南海)がロッテ戦で史上初の月間2度の5試合連続本塁打を放った。
1981 年 7月 31日
【野球】
大阪球場で行われた南海―西武で、門田博光選手(南海)は、月間本塁打16本の日本記録を達成した。
1981 年 8月 7日
【野球】
掛布雅之選手(阪神)が中日戦で10打数連続安打の日本タイ記録。
1981 年 8月 26日
【野球】
江本孟紀投手(阪神)は、首脳陣批判が新聞に掲載され、騒動となった責任を取り、退団することになった。
1981 年 8月 26日
【野球】
後楽園球場で行われた巨人―中日で、山本功児選手(巨人)が放った打球が宇野勝選手(中日)のオデコを直撃。
1981 年 8月 29日
【野球】
江夏豊投手(日本ハム)がパ・リーグ記録の20セーブポイントを達成。記録を25まで伸ばす。
1981 年 9月 18日
【野球】
間柴茂有投手(日本ハム)が開幕15連勝の日本タイ記録。
1981 年 10月 4日
【野球】
西本幸雄監督(近鉄)が、阪急との最終戦をもって勇退。両チームからの胴上げで20年間の監督生活を終えた。
1981 年 10月 13日
【野球】
パ・リーグのプレーオフは日本ハムがロッテを降す。
1981 年 10月 14日
【野球】
西本聖投手(巨人)が、沢村賞を獲得。投手部門のタイトルを総ナメにした江川卓投手(巨人)が落選となる。
1981 年 10月 25日
【野球】
巨人と日本ハムで争われた日本シリーズは、巨人が4勝2敗で制し、昭和48年のV9達成以来の日本一に輝いた。
1981 年 10月 25日
【野球】
カンザスシティ・ロイヤルズが来日。日本代表などと対戦し、9勝7敗1分。
1981 年 10月 31日
【野球】
プロ野球史上最多の通算3085安打を誇る張本勲選手(ロッテ)が、打率の低迷に伴い、引退を表明。
1982 年 3月 26日
【野球】
水原茂氏(元巨人監督)が死去。享年73歳。
1982 年 5月 22日
【野球】
斉藤明夫投手(大洋)が、中日戦で8試合連続セーブの日本記録を達成した。
1982 年 7月 4日
【野球】
衣笠祥雄選手(広島)が、広島市民球場で行われた中日戦で、連続試合出場を1500に伸ばした。
1982 年 7月 25日
【野球】
西武球場でのオールスター第2戦は延長11回、5-5で引き分け。斉藤明夫選手(大洋)が5イニングを投げる。
1982 年 8月 20日
【野球】
夏の甲子園決勝は、初優勝を目指す池田(徳島)と名門・広島商(広島)が対戦、池田が12-2で圧倒、優勝した。
1982 年 8月 31日
【野球】
阪神―大洋で、判定に腹を立てた阪神の柴田猛、島野育夫両コーチが審判団に暴行。無期限出場停止となる。
1982 年 9月 2日
【野球】
山本和行投手(阪神)は大洋戦でシーズン33個目のセーブを挙げ、シーズン最多記録を更新した。
1982 年 10月 12日
【野球】
落合博満選手(ロッテ)がパ・リーグの打撃タイトル3部門を独占。2リーグ制後3人目、最年少の三冠王となる。
1982 年 10月 14日
【野球】
パ・リーグのプレーオフは前期優勝の西武と後期優勝の日本ハムで争われ、創設4年目の西武が3勝1敗で優勝。
1982 年 10月 18日
【野球】
大洋―中日の最終戦、大洋投手陣が田尾安志選手(中日)を5打席連続で敬遠。中日が圧勝し、リーグ優勝。
1982 年 10月 30日
【野球】
ナゴヤ球場での日本シリーズ第6戦で、西武が中日に9-4で勝利。4勝2敗で西武として初の日本一に輝いた。
1983 年 1月 13日
【野球】
パ・リーグ理事会は、上位2チームが5試合行い、135試合の勝率で優勝を争う「変則プレーオフ」導入を決定。
1983 年 4月 9日
【野球】
長嶋清幸選手(広島)が、一軍選手としては史上初となる背番号0で中日戦にスタメン出場。
1983 年 4月 10日
【野球】
入団3年目の駒田徳広選手(巨人)が、後楽園球場の巨人―大洋で、史上初プロ初打席満塁本塁打を記録した。
1983 年 5月 25日
【野球】
高橋三千丈投手(中日)が、阪神戦でフライと三振だけでアウトをとり、完封勝利。史上初ゴロなし試合。
1983 年 6月 3日
【野球】
福本豊選手(阪急)が、西武球場での西武戦で通算939個目の盗塁を決め、世界新記録を達成した。
1983 年 7月 23日
【野球】
オールスターで指名打者制初採用。
1983 年 8月 23日
【野球】
近鉄戦で松沼雅之投手(西武)が12勝目を挙げ通算51勝、兄の博久投手(西武)と合わせ兄弟100勝を達成。
1983 年 9月 16日
【野球】
福本豊選手(阪急)が、日本ハム戦で通算36本目の先頭打者本塁打。世界記録となる。
1983 年 10月 3日
【野球】
松本匡史選手(巨人)が広島戦で75個目の盗塁を決め、シーズン盗塁のセ・リーグ記録を33年ぶりに更新した。
1983 年 10月 5日
【野球】
鈴木啓示投手(近鉄)が阪急戦で無四球試合、通算74試合のプロ野球記録。
1983 年 10月 17日
【野球】
山森雅文選手(阪急)が、好捕したプレーにより、大リーグからベストファインプレー賞を受賞した。
1983 年 11月 7日
【野球】
2連覇を狙う西武と巨人の対戦となった日本シリーズは、球史に残る名勝負。4勝3敗で西武が日本一に輝いた。
1984 年 1月 13日
【野球】
新浦壽夫投手(巨人)が韓国・三星ライオンズに入団した。
1984 年 2月 6日
【野球】
巨人、西鉄、大洋、ヤクルトで監督を務めた三原脩氏が死去。享年72歳。
1984 年 5月 23日
【野球】
下田武三コミッショナーが両リーグにバッテリー間のサイン交換に使われていた乱数表の全廃を勧告。
1984 年 7月 24日
【野球】
ナゴヤ球場で行われたオールスター第3戦で、江川卓投手(巨人)が8連続奪三振の快投を演じた。
1984 年 8月 7日
【野球】
ロサンゼルス五輪で今大会から野球が公開球技として採用、日本がアメリカを6-3で降し、金メダルを獲得。
1984 年 8月 7日
【野球】
福本豊選手(阪急)が南海戦の9回に二盗し、史上初の通算1000盗塁を達成。
1984 年 8月 17日
【野球】
西武が台湾代表のエース・郭泰源投手と契約。
1984 年 9月 30日
【野球】
ブーマー選手(阪急)が、2リーグ制後4人目、外国人選手初の三冠王に輝く。
1984 年 10月 5日
【野球】
中日―阪神で、宇野勝選手(中日)、掛布雅之選手(阪神)が本塁打王争いにより、10打席連続で敬遠された。
1984 年 10月 22日
【野球】
広島が阪急を4勝3敗で降し、日本一となる。
1985 年 1月 19日
【野球】
西武を退団した江夏豊投手が、多摩一本杉球場で引退式を行う。1万人のファンを前に大リーグ挑戦を宣言。
1985 年 4月 17日
【野球】
甲子園球場での阪神―巨人、2点のビハインドの阪神は、7回、バース・掛布・岡田の三者連続本塁打で逆転。
1985 年 6月 22日
【野球】
東尾修投手(西武)が、デービス選手(近鉄)に通算145個目の与死球、日本記録。
1985 年 7月 7日
【野球】
大分球場で行われた南海―ロッテで村田兆治投手(ロッテ)が2失点完投勝利。開幕からの連勝を11に伸ばした。
1985 年 7月 26日
【野球】
福本豊選手(阪急)が日本ハム戦で通算107三塁打達成。日本記録更新。
1985 年 8月 12日
【野球】
羽田発伊丹行の日航123便が墜落。同機に搭乗していた阪神の中埜肇社長が犠牲となる。享年63歳。
1985 年 8月 21日
【野球】
PL学園(大坂)の桑田真澄投手と清原和博選手の「KKコンビ」が、最後の甲子園を2度目の全国制覇で飾った。
1985 年 10月 9日
【野球】
西武がリーグ制覇。広岡達朗監督は痛風治療による休養中で監督不在の優勝。
1985 年 11月 2日
【野球】
阪神と西武の対決となった日本シリーズは、4勝2敗で阪神が勝利。2リーグ制後、初の日本一に輝いた。
1985 年 11月 14日
【野球】
パ・リーグは昭和58年から導入した変則プレーオフの廃止を決定した。
1985 年 11月 20日
【野球】
ドラフト会議で清原和博選手を6球団が競合、西武が交渉権を獲得。巨人は桑田真澄投手を強行指名した。
1986 年 5月 8日
【野球】
第8代コミッショナーに元検事総長の竹内寿平氏が就任した。
1986 年 6月 7日
【野球】
衣笠祥雄選手(広島)が2000試合連続出場を達成した。
1986 年 6月 13日
【野球】
デービス選手(近鉄)が東尾修投手(西武)の死球に怒り暴行。10日間の出場停止。
1986 年 6月 26日
【野球】
バース選手(阪神)は、後楽園球場での巨人戦で本塁打を放ち、18日のヤクルト戦から7試合連続本塁打を達成。
1986 年 7月 4日
【野球】
バース選手(阪神)が、13試合連続打点の新記録。
1986 年 8月 6日
【野球】
西武が近鉄戦の8回に1イニング6本塁打の日本記録を達成した。
1986 年 8月 31日
【野球】
西武は8月に53本塁打を放ち、月間チーム本塁打記録を更新した。
1986 年 9月 27日
【野球】
清原和博選手(西武)が高卒新人本塁打記録の28号を放つ。31号まで伸ばす。
1986 年 10月 9日
【野球】
西武が10-0でロッテに勝利、2位の近鉄が阪急に敗れたため、マジック2の西武が129試合目で優勝を決めた。
1986 年 10月 27日
【野球】
森祗昌監督(西武)と阿南準郎監督(広島)の新人監督対戦は、西武が3年ぶり3回目の日本一に輝いた。
1986 年 12月 1日
【野球】
労組日本プロ野球選手会がFA制導入、最低年俸引き上げ、球宴の試合数減を機構側に要求することを決議。
1986 年 12月 25日
【野球】
落合博満選手(ロッテ)が、牛島和彦投手、上川誠二選手ら4選手とのトレードで、中日への移籍が決定した。
1987 年 5月 6日
【野球】
大リーグ通算215本塁打を誇る新外国人・ホーナー選手(ヤクルト)が阪神戦で2試合4本塁打を放つ。
1987 年 6月 13日
【野球】
衣笠祥雄選手(広島)が中日戦で2131試合連続出場、ゲーリック選手(ヤンキース)を上回る世界記録を達成。
1987 年 6月 22日
【野球】
連続試合出場の世界記録を達成した衣笠祥雄選手(広島)が、王貞治選手(巨人)に次いで、国民栄誉賞を受賞。
1987 年 7月 28日
【野球】
甲子園球場のオールスター第3戦で桑田真澄投手(巨人)と清原和博選手(西武)のKK対決が実現した。
1987 年 8月 9日
【野球】
近藤真一投手(中日)がナゴヤ球場で行われた巨人戦にプロ初先発、いきなりノーヒットノーランを達成した。
1987 年 8月 21日
【野球】
夏の甲子園を制したPL学園(大阪)が、史上4校目の春夏連覇を達成。
1987 年 9月 14日
【野球】
第1回ジュニア日本シリーズ開催。イースタン優勝の巨人がウエスタン優勝の中日を降す。
1987 年 9月 21日
【野球】
衣笠祥雄選手(広島)が引退を表明した。
1987 年 10月 30日
【野球】
日本シリーズ第5戦が後楽園球場で最後の公式行事となる。
1987 年 11月 1日
【野球】
日本シリーズは、3勝2敗で王手をかけた西武が、巧みな走塁で3-1と勝利し、西武が2年連続の日本一となる。
1987 年 11月 4日
【野球】
阿波野秀幸投手(近鉄)が15勝でパ・リーグ新人王に。同じく15勝の西崎幸広投手(日本ハム)に会長特別賞。
1987 年 11月 12日
【野球】
江川卓投手(巨人)が、右肩痛の回復が望めないとして9年間の現役生活に幕を下ろすことを表明した。
1987 年 12月 21日
【野球】
東尾修投手(西武)が麻雀賭博で書類送検。西武球団は6ヵ月の謹慎と減俸2500万円の処分を科す。
1988 年 3月 18日
【野球】
日本初のドーム球場・東京ドームで、巨人―阪神の完成記念試合が行われ、5万6千人の超満員となった。
1988 年 4月 3日
【野球】
3月29日から4月3日まで東京ドームで12球団のトーナメント大会を開催。決勝で巨人が西武を降し、優勝した。
1988 年 4月 28日
【野球】
ヤクルト―巨人の6回、新人の長島一茂選手(ヤクルト)が代打で登場し、プロ初安打となる本塁打を放った。
1988 年 4月 28日
【野球】
阪急―ロッテで、松永浩美(阪急)が高沢秀昭選手(ロッテ)との首位打者争いで、11打席連続敬遠される。
1988 年 6月 19日
【野球】
古谷真吾球団代表(阪神)が、都内のホテルで飛び降り自殺。バース選手の問題解決のため多忙を極めていた。
1988 年 7月 6日
【野球】
札幌円山球場の巨人―中日で、吉村禎章選手(巨人)が栄村忠広選手(巨人)と捕球した際に激突。約1年の重症。
1988 年 7月 6日
【野球】
左ひざの治療で戦列を離れていた掛布雅之選手(阪神)が現役引退を表明。
1988 年 9月 13日
【野球】
郭源治投手(中日)が大洋戦で31セーブ目を挙げ、セ・リーグ記録を達成。
1988 年 10月 1日
【野球】
大阪を拠点とする南海をダイエーが60億円で買収。福岡を拠点とする「福岡ダイエーホークス」が誕生した。
1988 年 10月 19日
【野球】
阪急がリース業界最大手のオリエント・リースに球団譲渡を発表。「オリックスブレーブス」となった。
1988 年 10月 19日
【野球】
ロッテとのダブルヘッダーに2連勝すればリーグ優勝の近鉄だが、2戦目を延長10回で引き分け、優勝を逃す。
1988 年 10月 27日
【野球】
日本シリーズは西武と中日が対戦。西武が4勝1敗で日本一となる。
1988 年 10月 29日
【野球】
パ・リーグの本塁打と打点の二冠王を獲得した門田博光選手(南海)が、史上最年長記録の40歳でMVPを獲得。
1989 年 3月 7日
【野球】
元法制局長官の吉国一郎氏がコミッショナーに就任した。
1989 年 5月 20日
【野球】
清原和博選手(西武)がダイエー戦で1試合5四球のパ・リーグタイ記録。
1989 年 5月 31日
【野球】
ヤクルト―阪神で死球による2度の乱闘。渡辺伸彦投手(阪神)が、打者を狙って投球したとして退場。
1989 年 7月 15日
【野球】
斉藤雅樹投手(巨人)が東京ドームでのヤクルト戦で完封勝利。5月10日大洋戦からの連続完投勝利を11に。
1989 年 8月 20日
【野球】
クロマティ選手(巨人)はシーズン最終規定打席(403)を越えて、打率4割1厘を記録。
1989 年 9月 20日
【野球】
ブライアント選手(近鉄)はダイエー戦の6回に159個目の三振を記録し、最多記録を更新。
1989 年 9月 23日
【野球】
清原和博選手(西武)が平沼定晴投手(ロッテ)からの死球にバットを投げて激高、平沼投手は全治2週間の怪我。
1989 年 10月 12日
【野球】
1位の西武に対し2位の近鉄はブライアント選手(近鉄)の4打数連続本塁打などで連勝。逆転優勝を引き寄せた。
1989 年 10月 19日
【野球】
成績不振のため去就が注目される森祗晶監督(西武)が、堤義明オーナーより1年契約での留任を告げられる。
1989 年 10月 29日
【野球】
近鉄と巨人の日本シリーズで、史上3度目となる3連敗から4連勝の大逆転で、巨人が8年ぶりの日本一となる。
1989 年 11月 26日
【野球】
野茂英雄(新日鉄堺)が、ドラフト史上最多の8球団から指名され、競合のすえ、近鉄が交渉権を獲得した。
1990 年 3月 30日
【野球】
登板日漏洩の疑惑がある桑田真澄選手(巨人)に対して、巨人は罰金1000万円と謹慎1ヶ月の処分を決定。
1990 年 4月 7日
【野球】
セ・リーグは審判6人制から4人制に変更。開幕戦の巨人―ヤクルト、審判の本塁打判定でトラブルが発生した。
1990 年 5月 12日
【野球】
広島市民球場の広島―巨人、バックネットに「巨人軍ハ永遠ニ不ケツデス!」の垂れ幕が広げられた。
1990 年 6月 6日
【野球】
東京ドームでの日本ハム―近鉄、ブライアント選手(近鉄)が4回に天井スピーカーを直撃する本塁打を放った。
1990 年 6月 23日
【野球】
西武球場の西武―ロッテで、金田正一監督(ロッテ)がボーク判定に対し高木敏昭球審に暴行、退場処分となる。
1990 年 8月 4日
【野球】
大洋―中日は延長15回、5時間51分のプロ野球最長記録となる。
1990 年 8月 10日
【野球】
東京ドームの巨人―中日は、台風11号で東海道新幹線が不通、中日の選手が移動できず、ドーム初の中止。
1990 年 8月 21日
【野球】
夏の甲子園は沖縄水産が沖縄県勢として初の決勝に進出。天理(奈良)に0-1で敗れ、準優勝。
1990 年 9月 8日
【野球】
マジック2の巨人が、東京ドームでのヤクルト戦にサヨナラ勝ちし、2位の広島が敗れ、2年連続のリーグ優勝。
1990 年 9月 26日
【野球】
広永益隆選手(ダイエー)がオリックス戦でプロ野球史上通算6万号目の本塁打を放った。
1990 年 10月 10日
【野球】
野茂英雄投手(近鉄)が、西武戦で21回目の2ケタ奪三振を記録。シーズン日本記録を更新した。
1990 年 10月 24日
【野球】
西武球場で行われた日本シリーズ第4戦、西武が勝利して4勝0敗で巨人を降し、2年ぶり日本一となる。
1990 年 10月 26日
【野球】
ルーキーの野茂英雄投手(近鉄)が、投手部門の5タイトルとMVP、ベストナイン、新人王を獲得し八冠を達成。
1991 年 1月 16日
【野球】
吉国一郎コミッショナーは湾岸戦争の開戦を受け、海外キャンプの再検討を要望し、一部中止となった。
1991 年 7月 14日
【野球】
日本野球機構は野球協約の「外人」の呼称を「外国人」に変更。
1991 年 7月 24日
【野球】
オールスター第2戦は延長12回引き分け。代打に野茂英雄投手(近鉄)、左翼に工藤公康投手(西武)を起用。
1991 年 7月 31日
【野球】
ロッテは本拠地を川崎球場から千葉マリンスタジアムにすることを発表。
1991 年 10月 28日
【野球】
西武が4勝3敗で広島を降して、日本シリーズを制した。
1992 年 4月 21日
【野球】
野茂英雄投手(近鉄)はロッテ戦で13三振を奪い、通算42試合の1試合2ケタ奪三振(延長戦を含まず)を記録。
1992 年 6月 26日
【野球】
門田博光選手(ダイエー)は日本ハム戦で6号本塁打を放ち、44歳の本塁打記録を更新した。
1992 年 7月 19日
【野球】
オールスター第2戦で、全セの古田敦也選手(ヤクルト)が球宴史上初となるサイクル安打を達成した。
1992 年 8月 5日
【野球】
今大会から正式競技のバルセロナ五輪で、日本は準決勝で台湾に敗れたが、アメリカに勝ち銅メダルを獲得。
1992 年 8月 10日
【野球】
原辰徳選手(巨人)が、中日戦にて、入団以来12年連続20本塁打を放ち、自身の持つプロ野球記録を更新。
1992 年 8月 16日
【野球】
夏の甲子園2回戦、星陵(石川)―明徳義塾(高知)、星陵の松井秀喜選手が5打席連続で敬遠され波紋を呼んだ。
1992 年 9月 11日
【野球】
甲子園球場での阪神―ヤクルトの首位攻防戦は、3‐3で延長15回引き分け、史上最長の6時間26分に及んだ。
1992 年 9月 24日
【野球】
広島戦で、約4年1531日ぶりに荒木大輔投手(ヤクルト)が一軍登板。7回にマウンドに上がり三振に奪った。
1992 年 10月 10日
【野球】
混戦のセ・リーグはヤクルトが14年ぶりに優勝。就任3年目野村克也監督のID野球が開花し、公約を実現した。
1992 年 10月 12日
【野球】
長嶋茂雄氏が12年ぶりの監督への復帰が決定。「スピード野球を目指したい」と熱い抱負を語った。
1992 年 10月 26日
【野球】
3勝3敗で迎えた日本シリーズ第7戦で、4度目の延長戦の末、西武が2-1でヤクルトを降し、シリーズを3連覇。
1992 年 11月 21日
【野球】
ドラフト会議で、中日、ダイエー、阪神、巨人が松井秀喜選手(星陵)を指名。抽選により巨人が交渉権を獲得。
1993 年 4月 1日
【野球】
株式会社大洋球団が株式会社横浜ベイスターズと名称変更。チーム名称はキャンプインより変更された。
1993 年 4月 17日
【野球】
福岡ドームで初の公式戦。ホーム・ダイエーは0-1で近鉄に敗れる。
1993 年 6月 9日
【野球】
新人の伊藤智仁投手(ヤクルト)が、巨人戦で16奪三振のセ・リーグタイ記録も、本塁打を浴びサヨナラ負け。
1993 年 9月 14日
【野球】
ドラフト1、2位に関しては、大学、社会人選手が希望球団を逆指名できる新制度の導入を決定した。
1993 年 10月 13日
【野球】
西武がロッテに勝ち、パ・リーグ4連覇。全球団から勝ち越し、4年連続の完全優勝を達成した。
1993 年 11月 1日
【野球】
2年連続で西武とヤクルトで争われた日本シリーズ。第7戦でヤクルトが4-2で勝利し15年ぶり2度目の日本一。
1993 年 11月 16日
【野球】
秋山幸二選手(西武)と佐々木誠選手(ダイエー)、村田勝喜投手(ダイエー)ら3対3の大型トレードが成立。
1993 年 12月 21日
【野球】
今オフより導入のFA制度は、両リーグ計5選手が宣言。落合博満選手(巨人)は巨人と契約した。
1994 年 4月 3日
【野球】
日本プロ野球OBクラブが会員1217人で発足。会長に川上哲治氏が就任。
1994 年 4月 3日
【野球】
伊東勤選手(西武)が近鉄戦で史上初の開幕戦逆転サヨナラ本塁打を放つ。
1994 年 5月 10日
【野球】
郭泰源投手(西武)が、外国人投手としてはスタンカ投手(南海)、バッキー投手(阪神)以来の通算100勝を達成。
1994 年 7月 1日
【野球】
近鉄―西武、野茂英雄投手(近鉄)は毎回の16与四死球で、自身の一試合最多与四死球14を更新したが、勝利。
1994 年 7月 31日
【野球】
福良淳一選手(オリックス)が西武戦で落球、平成5年からの連続守備機会無失策の日本記録が836でストップ。
1994 年 8月 30日
【野球】
広島市民球場での広島―横浜、江藤智選手(広島)が24号本塁打を放ち、月間本塁打16本のセ・リーグ記録樹立。
1994 年 9月 20日
【野球】
グリーンスタジアム神戸でのロッテ戦で、イチロー選手(オリックス)が史上初のシーズン200安打を達成。
1994 年 10月 2日
【野球】
藤井寺球場で行われた西武―近鉄で、西武が8-2で勝利し、5年連続のパ・リーグ優勝を決めた。
1994 年 10月 8日
【野球】
69勝60敗で並ぶ巨人と中日が史上初の最終戦同率決勝を行い、球団創設60周年、長嶋政権の巨人が優勝。
1994 年 10月 25日
【野球】
西武球場で行われた西武―巨人の日本シリーズ第3~5戦は、昭和39年以来となるナイター開催。
1994 年 10月 29日
【野球】
日本シリーズ第6戦は、3勝2敗の巨人が3-1で西武に勝利。長嶋茂雄監督は監督として初の日本一に輝いた。
1995 年 2月 13日
【野球】
近鉄を任意引退選手となった野茂英雄投手がドジャースとマイナー契約。
1995 年 4月 21日
【野球】
野田浩司投手(オリックス)は千葉マリンスタジアムでのロッテ戦で19三振を奪い、1試合奪三振新記録を樹立。
1995 年 5月 2日
【野球】
野茂英雄投手(ロサンゼルス・ドジャース)が大リーグ初登板、5回7奪三振、無失点というデビューを飾った。
1995 年 7月 11日
【野球】
大リーグのオールスターで、野茂英雄投手(ドジャース)が先発、2回を無失点に抑えるという好投を見せた。
1995 年 7月 24日
【野球】
福岡ドームで「阪神大震災復興チャリティードリームゲーム」が開催。入場料などが兵庫県に贈られた。
1995 年 8月 26日
【野球】
佐藤義則投手(オリックス)が、プロ野球史上初の40歳以上でノーヒットノーランを達成した。
1995 年 9月 19日
【野球】
東京六大学でハーラー投手(明大)が、東大戦で先発。六大学史上初の女性選手出場となる。
1995 年 9月 19日
【野球】
1月の阪神大震災で打撃を受けた神戸を本拠地とするオリックスが、悲願のパ・リーグ優勝を決めた。
1995 年 10月 8日
【野球】
原辰徳選手(巨人)が、プロ生活1697試合目となる広島戦を最後に引退。指導者としての復帰を誓った。
1995 年 10月 26日
【野球】
ヤクルトが4勝1敗でオリックスを降し、日本シリーズを制す。
1995 年 11月 3日
【野球】
2回目の日韓親善野球大会が開催され、2勝2敗2分のタイに終わる。
1995 年 11月 14日
【野球】
東京六大学選抜とプロ野球六大学OB選抜の試合が神宮球場で行われ、10-5でOBが勝利。
1995 年 12月 8日
【野球】
ドラフトで7球団から指名された福留孝介選手(PL学園)が、日本生命への入社を表明。近鉄は交渉を断念した。
1995 年 12月 23日
【野球】
宣銅烈投手(ヘテ・タイガース)が移籍料3億円、年俸1億5千万円プラス出来高という破格の契約で中日に移籍。
1996 年 4月 5日
【野球】
斉藤雅樹投手(巨人)が阪神戦で3年連続開幕完封勝利のプロ野球記録を樹立。
1996 年 7月 10日
【野球】
巨人が広島戦でプロ野球タイの9者連続安打。
1996 年 7月 21日
【野球】
オールスター第2戦、最終回にイチロー選手(オリックス)が登板。
1996 年 7月 26日
【野球】
中継ぎ投手の記録として、セ・リーグがリリーフポイント、パ・リーグがホールドを与え、タイトルを制定。
1996 年 8月 2日
【野球】
アトランタ五輪野球競技で日本が決勝に進出。キューバと対戦したが9-13で敗れ、惜しくも銀メダル。
1996 年 9月 17日
【野球】
野茂英雄投手(ドジャース)がコロラド・ロッキーズ戦で、近鉄時代を含めて初のノーヒットノーランを達成。
1996 年 10月 6日
【野球】
首位の巨人が2位の中日との直接対決に勝利、128試合目でリーグ優勝決定。最大11.5ゲーム差を逆転した。
1996 年 10月 9日
【野球】
阪神―中日で、新庄剛志選手、塩谷和彦選手(阪神)が満塁本塁打を放った。1イニング2本の満塁本塁打は初。
1996 年 10月 24日
【野球】
日本シリーズ第5戦でオリックスが巨人に5-2で勝利。平成元年の球団買収以来、初の日本一となる。
1996 年 11月 2日
【野球】
野茂英雄投手(ドジャース)が、日米野球第2戦で凱旋登板、3回無失点。
1996 年 11月 24日
【野球】
FA宣言していた清原和博選手(西武)が、巨人に移籍。巨人入団という少年時代からの念願がかなった。
1997 年 3月 11日
【野球】
大阪市の大阪ドームで、こけら落としとなる近鉄―巨人のオープン戦が行われ、近鉄が10-6で勝利。
1997 年 3月 23日
【野球】
大阪ドーム落成記念トーナメントが行われ、決勝で巨人が西武を破り、優勝を果たした。
1997 年 3月 30日
【野球】
ナゴヤドーム落成記念トーナメントは、決勝で阪神が中日を破り優勝。
1997 年 4月 5日
【野球】
オリックスから金銭トレードで、アナハイム・エンゼルスに入団した長谷川滋利投手が、大リーグデビュー。
1997 年 5月 30日
【野球】
伊良部秀輝投手(ロッテ)がヤンキースに入団会見。ロッテ、ヤンキース、パドレスの間で三角トレード成立。
1997 年 6月 6日
【野球】
日米審判交流で派遣されていたマイク・デュミロ審判が、大豊泰昭選手(中日)に胸をつかれたことで、帰国。
1997 年 7月 10日
【野球】
伊良部秀輝投手(ヤンキース)がデトロイト・タイガース戦で初登板初先発。7回途中2失点で勝利投手となる。
1997 年 9月 28日
【野球】
六大学野球・慶大―法大で、高橋由伸選手(慶大)が本塁打。通算23号目で、六大学通算本塁打記録を更新。
1997 年 10月 23日
【野球】
ヤクルト―西武の日本シリーズ第5戦は、3-0でヤクルトが勝利。4勝1敗で日本一を決めた。
1998 年 2月 9日
【野球】
契約金などの所得に架空経費を計上し、所得を隠したとして、脱税で有罪が確定した10選手に、処分を発表。
1998 年 2月 16日
【野球】
セ・リーグは次期会長に前フィンランド大使の高原須美子氏の就任を決定。女性の会長は史上初となる。
1998 年 3月 3日
【野球】
プロ野球実行委員会は新コミッショナーにセ・リーグ会長の川島廣守氏の就任を決定した。
1998 年 3月 17日
【野球】
西武球場の観客席70%を覆う屋根が完成。「西武ドーム」と改称。
1998 年 6月 30日
【野球】
佐々木主浩投手(横浜)が、連続セーブ記録を23試合に更新。セーブポイント連続記録も22試合の日本記録に。
1998 年 7月 7日
【野球】
ロッテがオリックスに延長12回サヨナラ負けを喫し、17連敗となり、プロ野球ワースト記録を更新した。
1998 年 7月 18日
【野球】
夏の甲子園・青森県予選で、東奥義塾が深浦に122-0で勝利。昭和11年の予選以来の史上最多得点となった。
1998 年 7月 31日
【野球】
甲子園球場の阪神―巨人で、ガルベス投手(巨人)が6回降板時、橘高淳主審に向けてボールを投げつけ退場。
1998 年 8月 22日
【野球】
夏の甲子園決勝、横浜―京都成章で、松坂大輔投手(横浜)がノーヒットノーランを達成。横浜は春夏連覇。
1998 年 10月 26日
【野球】
横浜と西武で争われた日本シリーズ第6戦に横浜が2-1で勝利、昭和35年以来、38年ぶりの日本一を決めた。
1998 年 10月 28日
【野球】
セ・リーグ新人王は14勝、防御率2.57の川上憲伸投手(中日)に決定。争った3選手は、新人選手特別賞を受賞。
1998 年 11月 27日
【野球】
オリックスの三輪田勝利編成部長が自殺。
1998 年 12月 11日
【野球】
ダイエーの3選手がサイン解読のスパイ行為をしていたという報道に対し、ダイエー調査委員会は潔白を発表。
1999 年 1月 13日
【野球】
試合開始から終了まで、スコアラーなどによる外部からの情報伝達が全面禁止。
1999 年 1月 16日
【野球】
二塁走者やコーチャーズボックスからのサイン解読や打者への伝達を禁止する「監督宣言」が採択される。
1999 年 3月 6日
【野球】
投手と野手の二刀流に挑戦している新庄剛志選手(阪神)が、巨人とのオープン戦に登板、1回無安打に抑える。
1999 年 4月 4日
【野球】
センバツで沖縄尚学が沖縄県勢として春夏通じて史上初となる優勝を果たす。
1999 年 4月 13日
【野球】
阪神―横浜、佐々木主浩投手(横浜)が登板。通算セーブを211とし、史上初の250セーブポイント達成した。
1999 年 5月 16日
【野球】
松坂大輔投手(西武)がイチロー選手(オリックス)と初対決。4打席目の四球以外は、3打席連続三振に抑えた。
1999 年 8月 13日
【野球】
ガルベス投手(巨人)が横浜戦で今季2本目の満塁本塁打。投手が1シーズンに満塁本塁打を2本打つのは初めて。
1999 年 9月 17日
【野球】
韓国・ソウルで、シドニー五輪予選を兼ねたアジア野球選手権の決勝リーグが行われ、日本は準優勝。
1999 年 9月 25日
【野球】
日本シリーズで、ダイエーが中日を4勝1敗で降し初の日本一に。王貞治監督は指揮官としてシリーズ初制覇。
1999 年 10月 5日
【野球】
上原浩治投手(巨人)がヤクルト戦で今季20勝目を挙げたが、ペタジーニ選手(ヤクルト)への敬遠に悔し涙。
1999 年 10月 30日
【野球】
パ・リーグ高卒新人で45年ぶりに最多勝に輝いた松坂大輔投手(西武)が新人王獲得、ベストナインにも選出。
2000 年 2月 1日
【野球】
アマ五輪候補48人が4人ずつ12球団に分かれて、プロ野球のキャンプに参加。
2000 年 3月 29日
【野球】
ニューヨーク・メッツ―シカゴ・カブスが東京ドームで行われた。北米大陸以外での大リーグ公式戦は初。
2000 年 7月 11日
【野球】
種田仁選手(中日)が、ナゴヤドームで行われた阪神戦で代打10打席連続出塁でプロ野球記録を更新した。
2000 年 8月 7日
【野球】
松坂大輔投手(西武)がオリックス戦で、9回二死満塁の場面に代打で登場し、2点適時打を放つ。
2000 年 8月 15日
【野球】
昭和35年柳川事件以来断絶していたプロ・アマ交流試合が、横須賀スタジアムで行われた。
2000 年 9月 27日
【野球】
プロが初参戦したシドニー五輪の野球は、3位決定戦で韓国と対決。日本は1-3で敗れ、メダル獲得ならず。
2000 年 10月 26日
【野球】
日本シリーズ第3戦は東京ドームでの第2戦から移動日を設けず、福岡ドームで開催。
2000 年 10月 28日
【野球】
日本シリーズで、ファン待望のON対決が実現。長嶋巨人が王ダイエーを投打で圧倒し、4勝2敗で日本一に。
2000 年 10月 31日
【野球】
プロ野球実行委員会で契約更改への代理人立会いが認められる。
2000 年 11月 6日
【野球】
大リーグの佐々木主浩投手(マリナーズ)が、ア・リーグ新人王獲得。
2000 年 11月 30日
【野球】
オリックスからシアトル・マリナーズに日本人初のポスティング移籍をしたイチロー選手が正式契約。
2000 年 12月 18日
【野球】
阪神からFA宣言した新庄剛志選手が、日本の球団が提示した好条件をけって、ニューヨーク・メッツと契約。
2001 年 5月 28日
【野球】
東京六大学の東大―明大で、女性の竹本恵投手(東大)、小林千紘投手(明大)が先発。初の女性同士先発に。
2001 年 9月 24日
【野球】
西武戦でローズ選手(近鉄)が今季55号の本塁打を打ち、王貞治選手(巨人)のシーズン最多本塁打記録に並ぶ。
2001 年 9月 26日
【野球】
近鉄―オリックスの最終回、北川博敏選手(近鉄)が逆転サヨナラ満塁弾を放ち、12年ぶりのリーグ優勝。
2001 年 9月 30日
【野球】
長嶋茂雄監督(巨人)が勇退を決め、後任に原辰徳ヘッドコーチを指名。勇退後は巨人軍終身名誉監督に就任。
2001 年 10月 1日
【野球】
川島廣守コミッショナーは、ダイエーが本塁打記録のかかるローズ選手(近鉄)との勝負を避けたことに苦言。
2001 年 10月 6日
【野球】
横浜スタジアムでヤクルトが横浜に6-4で勝ち、リーグ優勝を決めた。若松勉監督は自ら祝福の弁を述べた。
2001 年 10月 25日
【野球】
日本シリーズはヤクルトと近鉄が対戦。ヤクルトが4勝1敗で日本一となる。
2001 年 11月 2日
【野球】
プロ野球各球団のOBによる「マスターズリーグ」が開幕。
2001 年 11月 12日
【野球】
ア・リーグ新人王にイチロー選手(マリナーズ)が選され、20日にMVPも獲得。大リーグ史上2人目の同時受賞。
2001 年 12月 2日
【野球】
今季セ・リーグは順位決定を勝利数優先としていたが、来季より勝率優先に戻すことを決定した。
2002 年 1月 26日
【野球】
オーナー会議で横浜の筆頭株主がマルハからTBSに変更される。
2002 年 4月 21日
【野球】
五十嵐章人選手(近鉄)がダイエー戦で史上6人目の全打順本塁打。過去に全ポジション出場も記録している。
2002 年 5月 13日
【野球】
広島の二軍が第41回社会人野球広島大会に参加。プロの社会人野球参加は初となる。
2002 年 5月 14日
【野球】
王貞治監督の台湾での人気に着目し、戦後初の海外プロ野球公式戦となるダイエー―オリックスが台湾で開催。
2002 年 8月 12日
【野球】
張誌家投手(西武)が28イニング連続奪三振のプロ野球記録。
2002 年 9月 3日
【野球】
小林雅英投手(ロッテ)が近鉄戦で23試合連続セーブポイントの日本記録達成。
2002 年 10月 2日
【野球】
カブレラ選手(西武)が近鉄戦第2打席で、王貞治選手(巨人)、ローズ選手(近鉄)と並ぶ、今季55本塁打を記録。
2002 年 10月 30日
【野球】
巨人と西武の日本シリーズは、巨人が第4戦に勝ち4連勝。原辰徳監督は就任1年目で日本一となる。
2002 年 12月 2日
【野球】
アテネ五輪の日本代表監督に長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の就任が決定。
2002 年 12月 19日
【野球】
FA宣言した松井秀喜選手(巨人)は、ニューヨーク・ヤンキースと3年契約、年棒総額は推定25億円で合意。
2003 年 6月 20日
【野球】
高津臣吾投手(ヤクルト)が通算セーブポイント270を挙げ、佐々木主浩投手(マリナーズ)を上回る日本記録。
2003 年 6月 23日
【野球】
オールスターファン投票が発表され、2年以上一軍登板のない川崎憲次郎投手がトップに。川崎は辞退を発表。
2003 年 7月 27日
【野球】
ダイエーがオリックスに26-7で大勝。1試合32安打のプロ野球記録。
2003 年 8月 1日
【野球】
ダイエーがオリックスに29-1で大勝。1試合29得点、28点差はプロ野球新記録となる。
2003 年 8月 5日
【野球】
来季より本拠地を札幌に移転する日本ハムが、チーム名を「北海道日本ハムファイターズ」とすると発表。
2003 年 8月 20日
【野球】
川相昌弘選手(巨人)が、横浜戦で今季7個目の犠打を決め、通算犠打を512とし、世界記録を73年ぶりに更新。
2003 年 9月 15日
【野球】
星野仙一監督率いる阪神は甲子園球場で広島を降し、2位ヤクルトが横浜に敗れ、18年ぶりのセ・リーグ優勝。
2003 年 10月 27日
【野球】
日本シリーズはダイエーと阪神が対戦。双方が本拠地のみで勝利し、4勝3敗でダイエーが日本一となる。
2003 年 11月 7日
【野球】
野球アジア選手権2003で、長嶋茂雄監督率いる初のオールプロチームは3連勝。アテネ五輪への出場を決めた。
2004 年 2月 5日
【野球】
近鉄は平成17年から球団名から近鉄を外し、スポンサーに命名権を売却すると発表するが、反発により撤回。
2004 年 3月 4日
【野球】
日本代表・長島茂雄監督が脳梗塞で入院。
2004 年 4月 29日
【野球】
阿部慎之助選手(巨人)が月間本塁打16本のプロ野球タイ記録。
2004 年 6月 29日
【野球】
ライブドアが近鉄買収に名乗りを上げる。
2004 年 7月 11日
【野球】
オールスター第2戦で新庄剛志選手(日本ハム)が本盗を行い、2-1で全パが勝利。MVPを獲得した。
2004 年 8月 22日
【野球】
夏の甲子園で駒大苫小牧(北海道)が、済美(愛媛)を13-10で降し、初優勝。東北以北の優勝は春夏通じて初。
2004 年 8月 24日
【野球】
アテネ五輪野球競技で、初めてオールプロ選手で挑んだ日本は準決勝でオーストラリアに敗退し、銅メダル。
2004 年 9月 17日
【野球】
労組・プロ野球選手会と日本プロ野球組織(NPB)の労使交渉が決裂。日本プロ野球界初のストライキ決行。
2004 年 9月 27日
【野球】
来季より「オリックスバッファローズ」に統合される近鉄とオリックスの最終戦が行われた。
2004 年 9月 27日
【野球】
松中信彦選手(ダイエー)が打率3割5分8厘、44本塁打、120打点で三冠王を獲得した。昭和61年以来18年ぶり。
2004 年 10月 1日
【野球】
イチロー選手(マリナーズ)は、84年ぶりにシーズン257安打の大リーグ記録を更新。262安打まで更新する。
2004 年 10月 11日
【野球】
今季から導入されたパ・リーグのプレーオフは、激戦のすえ、レギュラーシーズン2位の西武が制した。
2004 年 10月 25日
【野球】
日本シリーズは中日と西武が対戦。西武が4勝3敗で日本一。
2004 年 11月 2日
【野球】
来季より楽天がパ・リーグに新規参入、仙台を本拠地とする「東北楽天ゴールデンイーグルス」が誕生。
2004 年 12月 24日
【野球】
ソフトバンクは興行権含め総額200億円でダイエーを買収、新球団名「福岡ソフトバンクホークス」となる。
2005 年 3月 26日
【野球】
パ・リーグ新規参入の楽天は開幕戦ロッテに勝利。
2005 年 4月 29日
【野球】
四国各県の独立リーグ「四国アイランドリーグ」開幕。元オリックス監督の石毛宏典氏が運営会社の社長に。
2005 年 5月 6日
【野球】
今季からセ・パ交流戦がスタートし、6試合総当たり方式で行われ、24勝11負1分でロッテが初代王者に。
2005 年 8月 31日
【野球】
斉藤和巳投手(ソフトバンク)がロッテ戦で勝利投手となり、開幕15連勝のプロ野球タイ記録を樹立。
2005 年 9月 29日
【野球】
藤川球児投手(阪神)が、巨人戦で79試合目の登板。シーズン最多登板記録を樹立。
2005 年 10月 3日
【野球】
高校生ドラフトの抽選で、監督らが「当たり」と「外れ」を勘違いする騒動が起こった。
2005 年 10月 11日
【野球】
青木宣親選手(ヤクルト)が横浜戦で、平成6年のイチロー選手以来、史上2人目となるシーズン200安打を記録。
2005 年 10月 18日
【野球】
古田敦也(ヤクルト)が、野村克也監督(南海)以来29年ぶりの選手兼任監督に就任。
2005 年 10月 26日
【野球】
日本シリーズは、ロッテが阪神を3-2で破り、4連勝。2リーグ制後3度目で31年ぶりの日本一に輝いた。
2005 年 11月 13日
【野球】
プロ野球のアジア1を決める「アジアシリーズ2005」で、ロッテがサムソン(韓国)を降し、初代王者となった。
2006 年 3月 20日
【野球】
第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で、王ジャパンが10-6でキューバに勝ち、初代王者に。
2006 年 4月 9日
【野球】
金本知憲選手(阪神)は、横浜戦で904試合連続フルイニング出場を達成。大リーグ記録を抜く世界記録となる。
2006 年 4月 18日
【野球】
新庄剛志選手(日本ハム)が突然の今シーズン限りの引退宣言。その後、大活躍し日本ハムの快進撃を演出。
2006 年 6月 7日
【野球】
小林雅英投手(ロッテ)が中日戦で江夏豊投手(西武)、高津臣吾投手(ヤクルト)を上回る6年連続20セーブ。
2006 年 6月 20日
【野球】
プロ野球交流戦は、ロッテが23勝13敗、勝率6割3分9厘で2連覇を果たした。
2006 年 7月 4日
【野球】
藤川球児投手(阪神)が横浜戦で35試合連続無失点のプロ野球記録を達成した。
2006 年 8月 20日
【野球】
甲子園決勝、斉藤佑樹投手(早実)と田中将大投手(駒大苫小牧)の2日間に渡る熱戦の末、早実が4-3で勝利。
2006 年 9月 16日
【野球】
山本昌投手(中日)が阪神戦でノーヒットノーランを達成。41歳1ヵ月での達成はプロ野球史上最年長記録。
2006 年 10月 12日
【野球】
パ・リーグプレーオフ第2ステージ第2戦、日本ハムがソフトバンクを1-0で降し、25年ぶりのリーグ優勝。
2006 年 10月 26日
【野球】
日本シリーズ第5戦、日本ハムが4-1で中日を破り、4勝1敗で44年ぶり、移転3年目で、日本一に輝いた。
2006 年 11月 12日
【野球】
アジアシリーズ決勝で、日本ハムが台湾のLA NEWを1-0で降し、アジアチャンピオンとなった。
2006 年 12月 14日
【野球】
松坂大輔投手(西武)がポスティング制度で、レッドソックスへ移籍した。入札額は約60億円。
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~沢村栄治からハンカチ王子まで~
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