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あゝ思い出ごはん

誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?

2007年12月12日 17:21 | 家族ごはん

人気料理人、野崎洋光さんの「親父ごはん」

画像 少年のような柔和な笑顔にわかりやすい話。和食の達人として人気の野崎洋光さん(写真)は、東京南麻布の日本料理店「分(わけ)とく山」の総料理長である。話題のミシュランガイドで一つ星が付く以前から予約は数ヶ月待ち。40冊を超える著書に加えて、テレビなどでも引っ張りだこ。気鋭のプロの心に残る「思い出ごはん」は一体何だろう? ヤボを承知で聞きに行った。

☆大家族、個別のお膳で食べた原風景

 南麻布と言えば、外国大使館が点在し、超高級マンションの広尾ガーデンヒルズなどにも近い"セレブ"の街。師走某日、地下鉄広尾駅から近い交差点の角に建つ瀟洒な店で、野崎さんはお馴染みの白い割烹着姿で迎えてくれた。

 開店前の忙中閑の時間帯。入り口のテーブルに座る間もなく「これでいいですか?」といきなり目の前に運ばれて来たのは、炊きあがったばかりの土鍋ごはん。一瞬戸惑う私に、野崎さんは「これが私の思い出ごはんです」。子供のころ食べたと言う「ごはん」を早手回しに再現してあったのには驚いた。

 野崎さんは、1953年、福島県南部の古殿町(石川郡)の生まれ。9人兄弟の8番目の4男坊。父は小学校の教師だったが、代々農家で畑もやっていた。「ごく普通の農家ですよ」とは言うものの、白壁の大きな家には、祖父、祖母、さらには曾祖母も一緒の4世代の大家族。貧しくて学校に行けない家庭の子供を引き取って住まわせたり、営林署の役人や富山の薬売りも気軽に泊めるなどいつも大勢の人が出入りしていた。

 小さい頃の食事は、いつも15、6人が勢ぞろい、囲炉裏のある居間に一人一人のお膳を並べて食べた。上座の祖父を中心に年の順にずらりと並ぶが、お膳の高さが少しずつ違っていて、年長者は脚つき、子供たちは床にぺたりとついた平らなものだった。

 大正初めの生まれの母を除けば、年寄りたちはみんな明治生まれ。個別に配膳されているから子供たちはおかずを取り合うこともない。箸の上げ下ろしにもうるさい厳格な父の元、静かに礼儀正しく食べる光景は「道徳」の時間でもあり、明治文化そのものが残っていた。

 海の幸にも山の幸にも恵まれた食卓で、よく食べて美味しかったのは「五目ごはん」。ごぼう、人参、油揚げ、こんにゃくなどに、親戚の鉄砲撃ちの名人が獲って持って来てくれる雉(キジ)の肉や時には毛皮を取るために飼っていたウサギの肉も混ぜて炊き上げた薄い醤油味の"かやくごはん"である。

☆初めて見た頑固親父の調理姿

 小学校に上がる前のころのある日、父に連れられて2つ年上の兄と一緒に太平洋に面した隣町、いわき市の「神白(かじろ)温泉」へ出かけた。はっきりした記憶はないが何でも兄の"おねしょ癖"を治すのが目的だったらしいが、自炊の出来る湯治場で父が「今晩のめしはオレが作る」と宣言して「缶詰ごはん」を作ってくれたのには驚いた。

 鯖だったか鮭だったかの缶詰を開けて玉ねぎとネギをきざんで炊いただけの簡単料理。素朴な味で美味しかったが、洋光少年にとっては、「男子厨房に入らず」を絵に描いたような明治男の父が、無骨な手つきで調理する姿を初めて見て驚嘆した記憶の方が鮮明に残っている。野崎さんの「思い出ごはん」はまさにこのとき父が作ってくれた「缶詰ごはん」(写真上、手前の鍋ごはん)だったのである。

 野崎さん、実は高校時代に家出をしたことがある。あまりに厳格だった父に反抗し家を飛び出して東京に出た。兄のツテで建設作業員のアルバイトをしていたが結局、10日間で家族に連れ戻された。

 東京の栄養専門学校に進学した最初の夏休みに帰省したら、正座した両親に「ようこそお帰りなさいませ」と敬語で迎えられた。幼いころから「年上の人を大事にしろ」「挨拶をきちんとやれ」と言われ続けていたことを思い出し、「ああ、負けたな」と思ったという。

 頑固一徹な教育者ながら時には冗談も言っていた父は晩年「俺が死んだら花火をあげてくれ」と言った。10年前、93歳で亡くなったとき、兄弟みんなで本当に花火をあげて見送った。

 「分とく山」の常連客の一人にミスタープロ野球の長嶋茂雄さんがいる。2004年のアテネオリンピックの前のこと、いつものように店に現れた長嶋さんは野崎さんに直接「一緒にアテネに行ってほしい」と告げた。長嶋さんはオリンピックの前に脳梗塞で倒れて現地に行けなかったが、野崎さんは日本代表チームの料理長として納豆などを山ほど抱えて随行した。

 「子供のころ、たくさんの家族の中で育ち、手作りの食事をきちんと作ってくれた祖母と母がいました。その味が私の原風景です。笑って白いごはんを食べられることが一番の幸せであることを忘れないようにしたい」

 当代一の売れっ子料理人は「近頃、だんだん父親に似てきました」と苦笑いした。

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(「食べ物の中で一番美味しいのはやっぱりお米」。新潟県の萱森農園で稲刈りを楽しむ野崎さん=07年9月)

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