HOME > あゝ思い出ごはん > 国際政治記者、思い出の「キャビア丼」
誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?
2007年12月27日 16:58 | まぜまぜごはん
華やかな饗宴のメニューを見れば全てがわかる! 武器を使わない戦争と言われる外交を初めて「食」の世界から読み解いた国際政治ジャーナリストの西川恵さん(写真=毎日新聞専門編集委員、右はファッションデザイナーの森英恵さん)。今年秋にはフランス政府から農事功労賞という勲章までもらってしまった。長い特派員生活で記憶に残る一品は、何だったか?
☆饗宴のレシピとワインから読み解く国際政治
西川さんは、71年新聞記者になり、テヘラン、パリ、ローマの各特派員、外信部長を経て現職。毎週「グローバル・アイ」という国際コラムを担当する傍ら、ソフト帽を目深にかぶったファッション記者としても活躍している。
96年に出版した『エリゼ宮の食卓』
(写真上、新潮社、新潮文庫)は、フランス大統領官邸エリゼ宮で展開される饗宴の舞台裏をメニューの質やワインの格付けから詳しくしく取材、歴代フランス大統領の食卓外交の政治的意図を分析した異色の労作で97年のサントリー学芸賞を受賞した。
古いフランスの美食研究家の言葉「食卓にこそ政治の極地がある」のひそみに倣ったこの企画は、その後も想を新たにした雑誌連載で継続し、今年2月にはその第2弾の『
ワインと外交』(写真下、新潮新書)が出版された。
10月下旬、東京青山のレストランで開かれたフランス政府の叙勲式には、羽織袴姿で出席。在日フランス大使館の公使、長年、親交のある文化勲章受賞者の森英恵さんらの祝福を受けた。
西川さんは、この叙勲式にも駆けつけた元NHKワシントン支局長で、ベストセラー小説『ウルトラダラー』の著者、手嶋龍一さんと雑誌「オール讀物」で対談をしたことがある。この中で手嶋さんは「ボクは『ワインと外交』を読んで、布団をかぶって寝てしまいたい心境だった。この本に描かれたブッシュ大統領のヨーロッパ訪問のほとんどに同行していたのにこんな面白い素材を見過ごしていたのですから」と脱帽。「これからも饗宴外交の語り部を続けてください」とエールを送った。
☆外国人食べ放題だったキャビア
さて、その西川外交シェフの「思い出ごはん」は、働き盛り若き日のテヘラン特派員時代の話。トリュフ、フォアグラと並んで世界三大珍味といわれるキャビアの本場で、どうすれば日本人の口に合った食べ方が出来るか?工夫を重ねてたどり着いたのは炊き立ての白い丼ごはんにのせることだった。以下、思い出ごはん亭に寄せてくれたその特派員報告である。
(西川)がテヘランに特派員として赴任したのは1982年だったが、当時のイランは内憂外患という言葉がピッタリだった。国内ではイスラム革命(1979年)の混乱が尾を引き、対外的には革命翌年に突如イラク軍の侵攻ではじまったイラン・イラク戦争が膠着状態に陥っていた。急進的なイスラム化への警戒と、アメリカ大使館人質事件が解決して間もない時期で、イランは国際社会で孤立していた。
食料も乏しかった。経済制裁で外国から食料品が入ってこず、食用油、小麦粉、ミルク、牛肉、チキンといった輸入食品には配給制がしかれていた。配給の対象とならない外国人は、法外な値段の闇市で入手するしかなかった。
そんなテヘランで唯一、外国人が食べ放題だったのがキャビアである。イスラム教徒は鱗のない魚を食べることはご法度で、チョウザメがそうだった。宗政分離の王政時代は金色に輝く最上級のキャビアは国王に献上され、欧米文化に慣れ親しんだ上流階級の人々も食していた。それが革命でイスラム法が厳格に適用され、当局が監視の目を光らすようになり、キャビアは輸出向けか、イラン在住の外国人用のみとなったのだ。
イランのキャビアはロシア産よりもいいと言われる。同じカスピ海で獲るのだから本来違いはないのだが、問題は獲ってから口に入るまでの時間、つまり鮮度の違いなのだろう。
日本人はキャビアというと黒々と光った粘り気ある粒を想像するが、最上のキャビアは先ほど述べたように金色に輝き、粒も粘り気はなく、ポロポロと弾むようにこぼれる。これが時間とともに薄いグレーから濃いグレーに変化し、粘りが出てくる。細胞が破れ、中の液体が出てくるのだ。最後はわれわれがよく知る黒々とした色になり、糸を引くようになる。
金色のものはめったになかったが、弾力のある薄いグレー色のキャビアはふつうに手に入った。魚屋の前を通ると、外国人と見て「キャビア買わない?」と声がかかる。日本円にして500グラム1000円から2000円だった。最初はスプーンですくって食べていたが、魚臭さと油っぽくてたちまちに飽きた。一週間はもう見るのも嫌という感じになって、結局ダメにする。いかに飽きずにたくさん食べることができるか。いろいろ試した末に、私が行き着いたのがキャビア丼だった。
丼のご飯の上にまず千切りのキュウリとタマネギのみじん切りを敷く。そこにキャビアを豪快に乗せる。キャビアの間にワサビを点々と置き、醤油を上から軽くかけ回す。最後に海苔を散らすのである。あとは一気呵成にほおばるのみ。
ポイントはキャビアの魚臭さと油っぽさをどう取るかなのだが、キュウリ、タマネギ、それに醤油とワサビがそれを中和して消し去ってくれる。キュウリの千切りとタマネギのみじん切りを多めにするのがコツである。2年間の特派員時代、数えてみれば月に一回はキャビア丼を口にしていたが、内陸のテヘランでは生魚が手に入らないため、魚を食す代替行為でもあったと思う。
テヘランの任期を終え、ヨーロッパ経由で帰国した際、ドイツのボンに立ち寄った。先輩の特派員に200グラム缶のキャビアをお土産に渡し、食べ方を指南した。キャビアと千切りキュウリ、タマネギのみじん切りを海苔で手巻きにし、ワサビ醤油につけて食べる。つまりキャビア丼の別バージョンである。
帰国した私に、その特派員から報告があった。「あんな美味しいキャビアの食べ方があるとは思わなかった。女房と『美味しい、美味しい』と言いつつ、あっという間に食べてしまった」と。
日本でも豪華なパーティーだと、クラッカーに黒いキャビアが申し訳け程度に乗ったつまみがサービスされる。いつもは忘れているのだが、それを目にすると、口一杯に頬張ったイランのキャビア丼を思い出すのである。
☆ ☆ ☆
ちなみにこのときのボン特派員は、現在の日本新聞協会会長・毎日新聞社長の北村正任さん。往時茫々である
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