2007年12月24日 15:13 | 家族ごはん
塩田さんちの「思い出喧嘩ごはん」
名前の通りまん丸顔。いつもにこやかなヒゲとメガネの紳士は、傘寿を超えてなお矍鑠(かくしゃく)。作家・評論家の塩田丸男さん(写真)は軽妙洒脱な人間学を説く一方で、食の本も数え切れないほどある。日本全国の山海の珍味を食べ尽くした無類の食いしん坊の「思い出ごはん」とは一体何か?
☆日本全国食べ尽くす
1924年生まれ、83歳になる塩田さんは、今年だけで3冊の本を上梓した。『マユツバ語大辞典』、『日本語詩歌小辞典』、『思わずニヤリ"ちょっと知的な"ことわざ学』。圓翁の名で楽しむ俳句は銀座の「安具楽句会」など三つの句会を主宰し、サンデー毎日の俳句欄の選者も務めている。
食いしん坊話の本は『フグが食べたい!死ぬほどうまい至福の食べ方』など数多いが、近年の大仕事は2000年から3年がかりで取り組んだ週刊新潮の「いのちの『食』訪問」という連載記事。味噌、醤油、納豆など日本の伝統食の現場を毎週見て回り、そして食べまくった。「76歳の老人に全国を飛び歩く仕事を頼んだ編集者も編集者だが、それをやったボクもボクだなあ」と苦笑いする。
塩田家は夫人のミチルさんも一人娘のノアさんもともに料理研究家というグルメ一家というのもよく知られた話。ミチルさんは手軽に出来る家庭料理、ノアさんはイタリアの家庭料理や現在住んでいるパリの暮らしから生まれた欧風料理が得意である。
エッセイストで『味はみちづれ』などの共著もあるミチルさんとは、今年結婚54年。そもそもはその昔、週刊読売編集部で机を並べる同僚記者だった。塩田さんはその新婚時代の思い出を綴ったこんなエッセイを書いたことがある。
☆胸キュンの新婚旅行
私たちが結婚した昭和28年7月は、世の中も騒然としていて、吉田首相の「バカヤロー解散」で国会は大荒れ、テレビ放送がはじまる、伊東絹子がミスユニバースに入賞するなどニュースが山ほどあって、新米記者の私は睡眠時間もろくにないくらいだった。
妻の方も同然で、私たちは結婚休暇も取れなかった。結婚した翌日から普段のように出勤して働いた。秋になって恒例の社員旅行があり、部員一同打ち揃って伊豆の伊東に出かけた。その夜、例によって宴会の後、同僚たちと麻雀卓を囲もうとする私を部長が呼び止めた。
「お前たち、新婚旅行、行けなかったんだろ。別棟に二人だけの部屋をとっておいてやったから彼女とゆっくりしてこい。今日を新婚旅行ということにしろ。麻雀なんかいつもできる」
思いもかけぬ部長の言葉に私はキューンと胸が熱くなった。伊東と聞くと、今でもこの部長の言葉を反射的に思い出さずにはいられない。
☆お雑煮を巡って初めて夫婦喧嘩
さて、塩田さんの「思い出ごはん」は、この新婚旅行のすぐあとに迎えた正月の出来事である。晴れやかなおせち料理と一緒に並んだお雑煮を見て、塩田さんはびっくり仰天した。山口県生まれ、大阪育ちの塩田さんが子供のころから食べ慣れてきた関西風お雑煮とまったく異なる東京風雑煮だったのである。
塩田家の関西風雑煮は丸もちにさといもなどが入った白みそ仕立て。代々江戸っ子家系のミチルさんの作った東京雑煮は焼いた角もちにかまぼこや小松菜などが入ったすまし仕立て。「こんな雑煮は見たことがない!」という夫に「あなたの方の雑煮こそ何よ!もちを煮込んでしまうなんて、もちのくずだわ」と妻が応酬して喧嘩になった。思えばこれが夫婦喧嘩第一号だった。
「お雑煮はあらゆる食べ物の中で一番ふるさと色が強い。私の友人の中には元旦は山梨出身の夫、2日は岩手出身の妻、3日は東京生まれの子供のための東京、と日替わりにしたり、作り方や具材で混合型にしている家庭もある。ウチはその後、結局混合型で円満解決していますが、いやあ、雑煮ほど特異な食はありませんねえ」
師走のこの時期、新聞や雑誌ではよく「日本全国お雑煮自慢」の特集が組まれる。角もち・すまし文化圏が多い東日本に対して、丸もち・白みそ文化圏が優勢の西日本。小豆汁文化圏の山陰、粒あんを包んだもちが入った白みそ仕立ての香川県など千差万別。地域特性が結婚によって変化し、増殖する家庭ごとの雑煮文化。
毎年、正月になると、日本のどこかの新婚家庭で夫婦喧嘩が起きているかもしれないと思うと楽しいですねえ。塩田さん!そして全国の皆さん!