誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?
2007年11月14日 19:47 | 旅ごはん

海外ビンボー旅行で見聞を広めるのはいつの時代も若者の特権。作家の小田実さんが当時の若者を熱狂させた世界旅行記『何でも見てやろう』を書いたのは1961年(昭和36年)。イラストレーターの長尾みのるさん(写真)は、それ以前の1950年代前半、南米ブラジルからヨーロッパを4年間、放浪した。「わが人生の原点」という遥かな国で食べたものは、生涯忘れられない。
☆生涯現役
「イラストレーター」という表現は、今でこそ一般的だが、それまで使われていた「挿絵画家」をやめて「イラストレーター」を日本で最初に使ったのは長尾さん。
昭和30年代、当時、無名の新人だった永六輔さんが「ボク、今度『アサヒグラフ』で小説を連載するんだけど、絵を描かないですか?」とやはり無名の長尾さんに電話をかけてきた。朝日新聞社へ飛んで行ったら「永六輔という新人に大朝日が連載小説を書かせるのさえ冒険なのに、さらに無名の絵描きとは?」とあきれ声が聞こえた。「挿絵画家だと先輩がいっぱいいるけど、上に誰もいなけりゃ新人じゃないわけでしょ。イラストレーターという肩書きの画家は日本にいません」。懸命にねばったらOKが取れた。イラストレーションを縮めたイラストはモダンな挿絵というあいまいな感じが受けて、以来、世間に広まった。=自著『明日もパフォーマンチックに』(毎日新聞社刊)より=
間もなくやってきた週刊誌全盛時代。長尾さんはさまざまな作家たちと組んで多くの連載をかかえ、本の装丁などでも売れっ子に。芥川賞作家・菊村到さんやシャーロック・ームズ研究家の長沼弘毅さんらとのコンビもよく知れられている。メキシコ旅行記『ソンブレロは風まかせ』はベストセラーからレコードにまでなった。
俳句をよくし、軽妙なエッセイ本も30数冊。間もなく「傘寿」を迎えようという今年1月、中国春秋時代の哲学者老子を水墨画(墨絵イラスト)で読み解いた『絵で読む"老子"無為を生きる』(小学館刊)を上梓した。また、ひょんなことから、1970年代に出版した、イラストーリー『バサラ人間』と『革命屋』(よるのひるね刊)が復刻され、現代の若者たちに受けている。
☆美味!ピラニアのにぎり寿司
さて、この、バガボンド(放浪者)の「思い出ごはん」はやはりブラジル。戦後間もない24歳のとき、南米航路の貨客船「さんとす丸」でブラジルに着いた。最初の仕事は映画館の看板書き。富士山の油絵をぶら下げて強烈な太陽が照りつける赤い土煙の奥地まで売り歩いた。
その原始林の中で、フランスにいたことがあるという野武士のような日本の老人に出会った。あこがれのパリの話を聞くうち、老人はふと俳句を一句口ずさんだ。
流されて流れて春を水澄(みずすまし)
人生は流されっぱなしでも自分で泳ぐばかりでもないんだよ、と禅僧が説くような話。絵の行商で資金を貯めた長尾青年はこの後、パリに渡り、絵の勉強を続けたが、老人の贈ってくれた俳句は終生の人生哲学になった。
行く先々で日本人移民たちの世話になったが、とある奥地で「にぎり寿司」をご馳走になった。熱帯の川のそばで出会った思いがけない日本食。白身魚だった。うまい、うまいと食べ終わってから、魚の正体を聞いて驚いた。世界で最も恐ろしい淡水魚といわれる「ピラニア」だった。

もう一つは有名なブラジル料理「フェイジョアーダ」(イラスト長尾さん=上)。もともとは奴隷たちが主人の食事の残り物で作った料理で、牛や豚の耳、鼻、手足、しっぽなどと「フェイジョン豆」(黒豆)を一緒にじっくり煮込んだもの。匂いがきつい上に肉に毛がはえていたり、目玉が入っていたりしたが、慣れれば旨く、安くて栄養もあるというので週に一度は食べた。20余年後、再訪したら値段も高くなって、もはや贅沢料理になっていた。
実は私こと思い出ごはん亭おやじは、15年以上も前、私のやっていた雑誌で長尾さんの3度目のブラジル感傷旅行を特集、地球の反対側の彼の国まで遙々と同行した。もちろん本場の「フェイジョアーダ」にも挑戦した。強い地酒ピンガにスダチに似た青レモンを絞った「カイピリーニャ」と呼ばれる飲み物がよく合い、何杯もお代わりをした。長尾さんのブラジルびいきが移ったのはいうまでもない。
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