HOME > あゝ思い出ごはん > 「十三湖のばば」の思い出ごはん(その2)
誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?
2007年10月24日 07:13 | ビンボーごはん
30年前のベストセラー『十三湖のばば』の主人公の「思い出ごはん」は何だったのか? それを聞くためには作者に会うしかない。あちこち電話をして探し当てた児童文学者、鈴木喜代春さん(写真)は、83歳の高齢ながらお元気そのもの。東京近郊の大きな街の駅で「よく来た、よく来た」と「十三湖のばば」と同じように暖かく迎えてくれた。
この本が出版されたのは1974年。初版が34刷りとなり、活字が擦り切れたというので新版が出て、さらに改訂版、文庫版まで出た。近年は在庫切れのままだったが、3年前、「らくだ出版」から装いも新たに継続出版されてよみがえった。
鈴木さんは、青森県の農家生まれの元小中学校長。青森や千葉県下で教師をしていた若いころから作文教育と児童書の創作活動に熱心で、これまで150冊を超える児童書を出版、「日本子どもの本研究会」の会長を4年間務めた。「本は最高の文化だ」が持論。80歳のとき、集大成とも言える、若き日の自らの作文教育と子供たちを描いた370ページの大作『けがづの子』(国土社、山口晴温・画)を上梓した。「けがづ」とは津軽地方で大凶作や飢饉(ききん)のことである。
初めてお会いした日、「自宅は遠いから」とわざわざ駅まで出向いてくれ、そのまま駅地下の居酒屋に案内された。「私の好物であり健康法は、1年中欠かさないふるさとのりんごとほんの少しの晩酌です」と言って日本酒の熱燗を注文。日の高いうちから、杯を交わしながらのインタビューとなった。
この本は"読書感想文コンクール"の小学上級以上向の課題図書だったそうですね。
「ええ、そうです。あのころ、児童文学で"死"を書くことはタブーで、出版社も初めは"暗いから売れない"と言っていたのですが。それを多くの子供たちが驚くほどきちんと読んでくれました。"死"を"生"に変えてますます元気に生きていく"ばば"を見て、みんな"生きる力"を発見するようです」
『十三湖のばば』誕生のいきさつは、本のあとがきにも書かれているが、昭和初期に津軽半島の農村のあちこちで次々と子供が死んでいった実話と、実際に出会ったおばあさんの姿が結びついて出来た。おばあさんは、長年の過酷な農作業のため、顔が地面につくほど腰が曲がっていた。「十三湖のばば」は、当時の津軽の農村の平均的な母親像だったのである。想をまとめた鈴木さんは 「"死"を書くことは"生"を書くことだ」ともりもり書いたと言う。

(1989年版 偕成社文庫表紙)
☆塩汁、水かけめし、味噌おにぎり・・・
「十三湖のばば」の時代は、大正から昭和にかけて、食べるものがない貧しい村の暮らしと戦争の足音が忍び寄っていたころ。飽食の現代からは想像がつかない食べ物の話が次々登場する。
例えば「塩汁」。味噌もろくになかった家では「味噌汁」の代わりに、塩を入れただけの汁を飲んだ。野草を具にしたりして。「水かけメシ」も同様である。おかずがないからごはんに水だけをかけ、味噌があれば味噌をなめながら、手早く飲み込むようにして食事を済ませたと言う。激しい労働の田植えの時は一日に4回も5回も食べた。
鈴木先生は身体を乗り出すようにして話し続ける。
「十三湖のばば」の思い出ごはん?
そうですね。その水かけメシに大根づけだったかもしれません。いや、味噌おにぎりじゃなかったかな? 味噌は立派なおかずの一種で、味噌おにぎりは主食であり、ときには子供たちのおやつでしたよ。
私自身、自小作農家の生まれで「十三湖のばば」の子供の数と同じ11人兄弟。味噌も醤油もおかずも全部手製でした。お金がないから魚を食べることは年に何回もなかった。味噌おにぎりは本当になつかしい。学校から帰ると飛びつくようにして食べるのです。何よりのおやつでおいしかったですね。
渾然一体!「十三湖のばば」の「思い出ごはん」が、いつの間にか鈴木先生の「思い出ごはん」になってしまった。
らくだ出版
東京都目黒区上目黒4-19-1 電話:03-5721-2733
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