誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?
2007年8月 1日 18:38 | 旅ごはん
新聞記者にはいろいろなセクションと持ち場がある。現役のころ、森羅万象が守備範囲の社会部だった私は、教育問題の取材チームにいたかと思えば、事件記者の端くれで刑事の家の夜討ち朝駆けに明け暮れていたこともある。取材対象が日替わり定食のように変わる若い頃は、毎日が面白かった。スクープよりも抜かれて悔し涙を流した方が多い「へっぽこ記者」だったが、全く縁がなかったのは皇室担当である。
某日、毎日新聞の元皇室担当記者、沢畠毅さんに会って「思い出ごはん」の話をしていたら、日ならずして以下のような原稿が届いた。近頃の皇室報道はギスギスした話題が多いが、なんとなくのんびりしていた30年前の外遊随行記者としての思い出話。飽食の時代の庶民も肝に命ずべき、若き日の「平成天皇」のこころやさしく微笑ましいエピソードである。
☆ ☆ ☆
腹八分目に医者要らず、と昔から言われているが、私(沢畠)など凡人は空腹のときなど、つい満腹になるまで食べてしまう。そして、時々腹痛を起こして後悔する。
1976年(昭和51年)6月、私は皇太子、同妃両殿下(現在の天皇、皇后両陛下)のヨルダン、ユーゴスラビア連邦(現在のスロベニア、クロアチア、ボスニア、セルビア、モンテネグロ)、イギリス訪問旅行に随行取材した。皇室担当記者は天皇陛下、皇太子殿下の海外旅行に随行するが、食事を共にすることはない。晩餐会も遠巻きに見ているだけである。
ところが、ヨルダンでなんとその機会が訪れたのである。砂漠の国、ヨルダンには皇族が訪れたことがない。たまたま、前年にフセイン国王が来日したため、その返礼として皇太子殿下ご夫妻が訪れたのである。ヨルダンでは国を挙げて歓迎、皇太子ご夫妻もローマ時代のペトラ、ジェラシ遺跡やヨルダン渓谷、死海などをヘリコプターで訪れた。
強行日程を終えた日の夕方、現地の日本大使館で在留邦人による歓迎食事会が開かれ、報道陣も招かれた。大使館員や民間人のご夫人方が、和食、洋食の手料理をテーブルいっぱいに用意してくれた。
皇太子ご夫妻を囲んで立食パーティーが始まった。参加者は皿いっぱいに料理を盛り、次々平らげた。皇太子ご夫妻は宴が進むに連れて別々に、参加者の中に入って行った。美しく、会話が楽しい美智子妃殿下には厚い輪ができたが、皇太子殿下の周りには、遠慮もあるのか参加者は寄らず、侍従が人待ち顔でうろうろしていた。私は皇室記者として何度も記者会見で皇太子殿下と話したことがあり、それに少し酒も入っていたので、その勢いで殿下の前に進んだ。
「殿下、本日はお疲れ様です」
「私はヘリだから大丈夫ですけど、皆さんは車だから疲れたでしょう」
われわれはこの日、ジープで300キロも走り、皇太子殿下の行く先々を取材した。
「今日は在留邦人の方々がおいしい料理を作ってくれました」
「本当にありがとう。おいしくいただきました」
「もっとたくさん召し上がった方が、皆さんお喜びになりますよ」
「もう十分です。腹八分目というでしょう。今日、どこかのカメラマンが 水を飲みすぎておなかをこわしたそうですね。私たちは、おなかをこ わしたら大変です。明日お会いする人、お訪ねするところの人たちに 迷惑を掛けます」
殿下の皿には、いくつもの料理が少しずつ載っていた。殿下は在留邦人のご夫人方が、どのような料理を出し、その味がどうだったかは全部賞味した。ご夫人方も「私が作った料理も召しあがってくれた」と喜んだのである。
昭和天皇の侍従長、入江相政氏(故人)が
「天皇、皇太子の〈行幸啓〉には大勢の人が関わるので"ドタキャン"は許されません。そのためいつも健康を保つことが帝王学の一つです。昭和天皇はどんなにお勧めしても、ふぐは召し上がりませんでしたね」
と話していたのを思い出した。
食べたいものを食べたいだけ食べられる庶民は幸せな筈。だが、本当にそうかな、と考えてしまう今日この頃である。
(写真はスロベニア共和国ブレッド市の酪農家で昼食をとられる当時の皇太子ご夫妻=毎日グラフ1971年7月11日号より、沢畠毅記者撮影)
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