HOME > あゝ思い出ごはん > 植村直己の「思い出ごはん」その1 仰天!アザラシの脳髄スープ

あゝ思い出ごはん

誰の胸にもある忘れられない食事の思い出。
一つの料理とともに人生の大切な場面が蘇る。
あなたの思い出の一品と物語はなんですか?

2007年7月11日 18:42 | 旅ごはん

植村直己の「思い出ごはん」その1 仰天!アザラシの脳髄スープ

画像  世界の冒険家・植村直己さん(写真)が1984年2月、厳冬のアラスカ・マッキンリーに消えてから早くも四半世紀に近い歳月が流れた。

 夫人の公子さんは、5年前、『植村直己 妻への手紙』(文春新書)という書簡集を初めて公刊した。結婚前のヒマラヤの奥地からをはじめ、スイス、カナダ、アラスカ、南極など世界各地から冒険の旅の様子を生々しく、時に孤独のいらだちを交えながら伝える手紙の数々。

 白熊に襲われて九死に一生を得た後の北極圏からは、身体の丈夫でなかった妻に「スタイルより保温が大事、腹巻きをして出歩くように」と命令したり、「君の作ってくれたオシンコが食べたい」と子供のように訴えてきた。

 「一緒になって10年、実質暮らしたのは5、6年。いなくなって23年」。

 そういう公子さんの今も忘れられない「思い出ごはん」は、1978年、世界初の犬ぞり北極点単独行、続いてグリーンランド犬ぞり縦断の2大冒険に成功した直己さんを、日本の関係者と一緒にデンマーク領のグリーンランド現地に出迎えに行ったときのこと。夫妻は地元エスキモーに大歓迎され食事会に招かれたが、そこに出てきたのがなんとアザラシの脳髄で作ったスープだった。

 なま暖かくどろりとしたスープからは、生臭いにおいがブワーッと立ち上る。公子さんは少し口を付けてみたがどうしても喉を通らない。横にいる直己さんが小さな声で「これは彼らにとって最高のご馳走なんだ。せっかくのもてなしに失礼だから、食べろ、食べろ!」と脇腹をつつく。

 エスキモーの常食は生肉。人々はそれをナイフで切って血をしたたらせながら食べる。犬ぞり旅の前に1年間、エスキモーの村で生活するなど極地人になりきっていた直己さんには、「かにミソ」ような珍味だったが、公子さんにとっては初めての恐怖のディナー。いつも他人のことを気遣い、誰からも好かれる夫がこのときほど恨めしかったことはない。

 明大山岳部時代、体が小さく、山でもよく転んだことからつけられたあだ名はドングリ。冒険の旅以外、家にいるときはいつもゴロゴロしていた。白いごはんと漬け物さえあれば満足だった。

 国民栄誉賞など数知れない名誉ある賞の中で、異色は詩人草野心平さん主宰の「歴程」賞。

 地球に足で詩を書いた孤独の英雄は、今、白髪になって、どこを旅しているだろうか?

【風天 渥美清のうた】 森 英介 著
映画「男はつらいよ」誕生40周年 / 渥美清13回忌 記念出版
定価1800円(本体1714円) 四六判、上製、304ページ、口絵付
詳しくはこちら


次の記事 | 牛乳とジャガイモさえあれば